ヘイトスピーチを「単なる罵倒」とごっちゃにしないでくれ

表題ママ。そりゃ「ヘイト」は英語で「憎む」「憎しみ」と訳せるが、「ヘイトスピーチ」という言葉を日本で広めた人たち(要するにしばき隊周辺)、そして他国で使われるところの意味はこれに尽きる。
http://kdxn.tumblr.com/post/66296158976
要するに「ヘイトスピーチやめろ」と彼らが言った時、それは「差別やめろ」と言うのと同義。ただそれだけのことだったし、オラもそのように使って来た。このブログにおいてはこれが端的。
http://d.hatena.ne.jp/dek_nobo/20141112/1415788308
朝鮮人差別扇動に対してさまざまな戦術をとってカウンターかまして来た野間易通氏周辺が使い、広め、流行語にまでなった「ヘイトスピーチ」、その根っこはあくまで「差別やめろ」でしかない。何をみな混乱しとるのか分からないくらい単純なことだった。
が、しかし、変なかたちで既に、広まっちゃったもんなあ。
「安倍くそったれ!」でサービスしてくれるどうげんぼうずというラーメン屋の件で、さすがに中央の世情に疎い田舎モンのおいらも危機感持った。あれを「安倍へのヘイトスピーチ」とか書いたWEDGE Infinityの記事ね。(今は訂正?されている)
ネットで話題なことを拾って記事でっちあげるような、そっち方面への「しろうとさん」がこういう用法で「ヘイトスピーチ」という言葉を使っちゃうんだもの。
要するに2ちゃんねるだのTwitterだの人が集まるネット上の場で、ちょっと生で聴いたらぎょっとしちゃうようなコトバを使う輩がいるなあ、という共通認識と、そのぎょっとしちゃうようなコトバをとりまとめて「ヘイトスピーチ」って考えちゃったわけでしょ?多くの人は。
そりゃもうしょうがない。そんなかたちで市民権を得ちゃったんだったら、それはそれで仕方ない。
ただ、ヘイトスピーチという言葉は朝鮮人差別を娯楽にしてる連中に、体を張ったカウンターをかまして来た人たちが使い出したことと、今でもネトウヨ政権とそれに連なる人たちに対抗しようとしている人にとってはそういう意味なんだということは理解しといてくれな。
「チョウセンジンはみんな死ねー!」とか、トラメガで街中でわめいてる輩がいるその現場で、あなたなら汚い言葉を使わずにそれを止められるか。カウンターの人たちってのは差別者に対して遠慮なく汚い言葉をぶつけるが、あなたが同じことをしようと思ったら汚い言葉を一切使わずに済ませられるのか。それができるなら「ネットでみかけるぎょっとするようなコトバ」をダメ出ししていい。
いいけどまずできないから。オレたちの九割以上できないから。保証していい。
人の、変えようのない属性に対して、その属性そのものを侮蔑することを差別と言う。
ヘイトスピーチ」は本来の語義では広まらなかったわけだけど、依然として差別は続く。「ヘイトスピーチ」の本来の意味は失われても、差別という現実とそれに対抗しようという声は失われない。
差別ってのは問答無用で悪だよ。