遅れて来たしばき隊フォロワーとしてはね。

昨日これ読んで「そりゃ最初は楽しかったんだろうなー」と思ってしまった。
http://blogos.com/outline/148887/
言うまでもないことだが相手を口汚く罵るなんてのは気持ちいいわけがない。おいらも数少ないカウンター経験で身に沁みている。それでも最初の頃の彼らには「真似したくなる熱」のようなものがあったのだろう。そういうのが文章から伝わって来た。ちなみに初期しばき隊の頃、自分はネット環境どころじゃない収入だったためこういう動きは一切アンテナに引っかかって来なかった。
で、今のカウンターってのはどうなのよ?ここで言われてるほどにダメなものなのかよ、と考えればそんなことは全くなく、バカの言説がこれ以上広まらないようにするための直接行動の重要性は増すばかりだ。ただ、こないだの仙台偽装移民?反対?とかのクソ街宣に関する限り、もう「怒鳴り散らす」こと自体は浮き上がってるなあ、という印象を拭えなかったというのも本音である。
なんつーか、相手がショボすぎんのね。
最初にマイクを持った牧師みたいなカッコのバカはまだよかったのよ。怒鳴りつけたこちらを睨み返すツラにもアレコレ言い返す声の張りにも「ケンカ」と言うにふさわしいだけの気合は感じられた。けどその後の弁士?とやらはなんかもう見るからにネットでぶつぶつ言ってるだけですみたいな存在感しかなく、たまに怒鳴り返しても目をそむけるばかりで、これに罵声ぶつけても「いじめ」になっちゃうな、という自制心が湧いてしまうのね。
すごく主観的な感想だと思われる人もいるだろうけど、こないだの日曜SEALDsのデモの先頭に突っ込んできたという街宣右翼が自慢げに?アップしたこちらの動画を観てもらえば分かると思う。
https://twitter.com/gisei594/status/673388602370342912
車ん中で甲高い声で、それでも精一杯凄んでるウヨク?さんだが、その眼前で見ているマスクの女の子、モロに罵声を浴びている側にいることは分かってるはずの女の子の「生暖かく見守ってる」感はどうだろう。見ていてむしろウヨク?さんに同情したくなっちゃうような彼らのよわっちさはどうなんだろう。仙台でオレが感じたのはまさにそれだった。
ケンカが成立しない。
何度かこのブログで書いているが、俺がAntifa界隈の動きをフォローするようになったのはbcxxxさんのしばき隊についてのエクスキューズがきっかけだ。俺みたいな理屈より先に体が動く手合いにもできることがある、やるべきことがあると思わせてくれた。しかしてその現場では実質「力で抑え込む」だけの相手は消失していた。清義明氏に言わせればそんな局面は最初から存在していなかったことになる。図に乗った在特会がコリアンタウンでヒャッパーしてるという知らせは俺みたいな人間にとっては「血が騒ぐ」ことだった。カンチガイしたバカを懲らしめるってのはぶっちゃけてしまえば「楽しい」からね。けど現場に行ってみれば彼らは全然ヒャッパーしておらず小理屈をコネコネしてるだけのおばかさんだった。春の郡山の時には「カウンターに参加する」ことで夢中で、そんなこと考える余裕もなかったが、こないだの仙台と、上の動画見るとどうしても「萎え」てしまう。
そんな彼らの佇まいを裏切って、彼らが言っていること自体に耳を傾ければそれは身の気もよだつような醜悪さだ。それだけに的を絞って、それを拡散できないようにする。そこにはもう清義明が懐かしがってるようなカタルシスはないのだろう。乗りかかった船だし清氏が言うような「良心的な味方」に任せれば大丈夫とはとても思えない自分は、このなんの面白みもない作業を淡々とこなして行かなければならない。
それだけに清義明の文章ってのは胸糞悪く癇に障るのよね。遅れて来たしばき隊フォロワーとしてはね。