「労働生産性」をめぐって

この記事を見て唸ってしまったのね。
毎日フォーラム・あしたの日本へ:公益財団法人日本生産性本部理事長・前田和敬さん - 毎日新聞
日本の労働生産性は1970年からずーっと先進国ビリだったんだと!
少子高齢化の害がいよいよモロに数字に顕れるようになってきた今時代、「労働生産性を上げる」のは喫緊の課題だ。なので国会で働き方改革が審議されることに異論はない。てかもっと早くからやらなきゃならないことだった。
が、そこで審議されたのが「高プロ」であり「裁量労働制」だったことが問題なのよね。誰も「働き方改革」自体に異論があるわけではない。今のままでいいとは誰も思ってない。しかし立法事実自身がガセだった裁量労働制は当然のように見送りになったし、高プロの問題点についてはYahooニュースでの佐々木亮さんの分析に釘を刺す。多くの労組さえ過労死ラインの労働条件を呑んでいる今、維新あたりがやってる「高プロ適用の選択権を拡げよう」なる試みは机上の空論。彼らは与党に追随してるだけと見ていい。
だから、今回は「時間ではなく成果で労働を評価する」というデマワードに乗っかった人たちに呼び掛けたい。乗っかりたくて仕方なかったのは俺も同じだからだ。実際の「働き方改革法案」がそういうものではなかったことが問題だったわけで、高プロに反対することを「現状をよしとする無責任な態度」と思われたくないからだ。
書店員だった頃、担当棚を大胆に改革し、好き者の常連を多く掴んだ同僚がいた。常連を掴んだとはいえジャンルがジャンルで売上にそう繋がらなかったため、その同僚の「成績」は常に低かった。結果、上から疎まれたそいつは会社をやめ、店全体の売上は劇的にではないが確実に下がった。
この場合、「労働生産性」の観点から見てそいつの仕事はどうだったんだろう。売れ筋だけをテッテ的に入荷する原則に倣えば、そいつは確かにより多くの売上を得ることができただろう。ただそれはコミックコーナーにワンピばかり置くつまらん本屋と同じ売り方でしかなく、結果店の客からの評判を下げることにもなる。最終的にそれは店にとってプラスだったかどうか。
高齢者介護はどうか。営利で考えると介護事業というのは最初から破綻している。税金で賄い、被介護者が長生きすればするほど国庫の負担は増す。なので介護のプロ中のプロが被介護者をより快適に、より長生きさせる術に長けていたとしても、それは国家の利益にはならないのだから給与は頭打ちだ。市場競争する意義が最初からない。ならそんな事業をやめてしまえばいいとなるとどうなるかと言うと、要介護の親を抱えた労働者が在宅介護に追われなにもできなくなる。それは貴重な労働人口の手足を縛ることと同義だ。
この場合の「労働生産性」ってのは国としてどう考えればよいのか。
よーするに、最終的に売上と、人件費含めた収支ばかりに目が行ってると見えてこない「いい仕事」が、現場にはたーくさんあるんだよね。
働き方改革」言うなら、いい加減そういうところに光を当ててみません?
もう50年近く、海外に比べりゃクソみたいな労働生産性を誇って来た日本企業なんだから、改革言うなら抜本的に、いろんな角度から、見直さなきゃダメなんじゃない?
労働運動は今とんでもないフェイズにいるようで、「そうは言っても金がなければなにもできない」という中小企業に累が及ばぬように気を使っているらしい。例えば「最低賃金1500円」をぶち上げて来たエキタスは、同時に「中小企業に税金回せ」を必ず付け加えている。労働者の怒りを、雇い主ではなく国に向けようと涙ぐましい努力までしちゃってる、しなきゃならないのが今の労働運動。けどね。
50年近くも企業組織のありかたを考え直すことなく、ひたすら「売上」「人件費削り」ばかりに奔走することが経営だ、という雇い主ばかりなら、労働者の怒りはいずれその雇い主に向かうよ。あんたらの無能な経営のせいで、いくら働いてもなにも得られなかったのが今の日本なんだから。その責任まで「人件費削減」というかたちで部下に背負わせる?
本当に「改革」しなきゃならないのはどの層か。ちっとはまじめに考えてくれ。