「団結」はせんでいいから「俺たち」でいてください

職場で政治の話をするときどうするか。

まあ大体「〇〇のニュースアタマに来てよー」みたいな「振り」から入るんだよね。んで「え?××さん(俺の名前)そういう人ですか!?」みたいな、ぎょっとされるリアクションがある。警戒されちゃう。なのでこのときよく使うのが「知り合いにどパンクなやつがいてなー、影響されちって」みたいな方便。これでとりあえず「政治の話するやつ=怪しい団体」みたいな警戒からは逃れることができる。「え?パンクなのに?」みたいなリアクションされて「いやパンクってそうでしょ」とCRASSやらS.H.A.R.Pやらの話しても「あーやっぱ××さん(俺の名前)変なやつですねー」な扱いは受けても「警戒」はされないで済む。「変なやつですねー」はいっつもそうなんで気にしない。とにかくここでは俺が彼らにとって「俺たち」であることが重要なのだ。

んで、たとえば辺野古の話な。アタマに来ねえのかオマエわ、みたいな話をする。九割がた知らない。そりゃそうで、一日のうち半分以上を職場で過ごすやつがいちいち新聞なんて見るわけないのだわ。職場でだって普段なら雑談する時間なんてあまりない。秒単位を無駄にしないような作業を一日続け、休憩時間はシフト上ひとりづつとるしかない。そんな人が家帰っていちいちニュース見ると思うかっての。いい年で独身で、仕事がハケても家の仕事しなくていいなんて人はそうそういないし。

だからいちから説明することになる。なにしろ何も知らないからヘンな偏見もない。少なくともネット上でグダグダ言ってるやつらより数段理解が早い。今日本で起きてることなんて、常識人の脳内キャパでかんがえれば考えるほどおかしなことばっかりだからすんなり怒ってくれる。「頭来ますねー。なんとかならないんでしょうかねー」

で、問題はそこから。

じゃ、おまえもデモいくべ、と、言いたい。言いたいけど、言えない。なぜか。「デモとかやってるのは怪しい団体」という先入観があるから。彼らは「俺たち」と呼べる存在ではない、という偏見があるから。その誤解を解くのが先になる。

「ちがうって。今国会前とか行くのは俺らみたいな普通の人が圧倒的に多いんだってば」

そう言いたい。彼らは「俺らと同じ」「頭に来てる労働者」なんだと。

けどそうなのか?

選挙とかあるたんびに、野党が無様に敗退するたんびに「愚かな労働者どもが投票行かないせいで」とか言ってるやつが現れる。言葉のちょいちょいに低学歴の地元志向の強い労働者を小ばかにしたニュアンスを感じる人が何人もいる。そういう発言に「愚かな大衆のせいで」みたいに乗っかるリベラルアカがこれまたたーくさんいる。

すくなくともああいった連中は「俺らとおなじ」ではないよな。そう思うともう「じゃあおまえもデモ行くべ」は言えなくなる。デモで主張されることに共感していても、参加している人たちは少なくとも「俺らみたいな普通の人」とは思えないからだ。

もちっと端的な話をしようか。前の前の職場にはやたらと労働問題にうるさい同僚がいて、むっちゃ嫌われていた。何時間働いたら何分休まなければならない。何時間以上働いてはいけない。これは法律で定められていると、彼の言うことは常に100%正しかった。しかし、仕事がそこからはみだすと有無も言わさず帰ってしまうのだ。その穴は、彼の周りにいる俺らが全部埋めなければならないことは自明な状況なのに帰ってしまう。次の日顔を合わせても「大変だった?」のひとこともない。こうなると「彼」はすくなくとも「俺たち」と呼べる相手ではなくなる。彼の吐く「正論のせいで」こっちが余計に働「かなければならなかった」という事実が「俺たち」の体にすりこまれる。結果「労働問題にうるさい奴はうざい」という空気が出来上がる。

いくら彼が正しくても、これはどうなのか。まずこのような状況を生んだのは会社なのだから会社が100%悪いのは確か。悪いのは会社であって彼ではないので、俺みたいな中途半端な左派は「文句はとにかく上に言おうよ」と言って回ることになる。けど俺にしてもほかの同僚にしても「彼」を見る目はどうしても冷たくなる。どのような理由であれ彼がさっさと帰ったことと自分らが余計に仕事しなきゃならなかったことの因果関係は否定できないし、彼が「そうなると知った上で帰った」という事実は曲がらないからだ。こんな状態でいくら彼が正論吐いても「そりゃご立派なことで」となるのが「道理」である。よーするに彼は「俺たち」ではないのだ。

こんな状態で、それでもまだ国内政治に関心持っていられる程度に体力の残ってる自分がどうしても言いたくなるのは、ワーキングクラスをかたり、国内世論を引っ張り上げようとリキんでる人はとにかく「俺たち」であってくださいってこと。そういう努力もなしに上から指導者ぶって、「俺たち」が動かなかったからって勝手に「愚かな民衆どもが」と絶望しないでくださいってこと。

こんな俺が、それでも国会前とかデモとかに参加できていたのは、それを運営してる人たちがしてきたとんでもない努力への敬意と、「311後の運動は個々人によるもの」という言葉に辛うじて居場所を確保してもらってるからで、「団結」とかを求められたらもうムリ。自分が「社会運動の最前線」と見定めている「職場」という場所で、あたふたと闘い続ける以外ないだろな。