「想定内」のおはなし

GDPの値への動揺、解散総選挙にまつわるゴタゴタ、特に安倍自ら出演したニュース23での醜態、どれも喜ばしいことだ。同時に、それらは既にこれまで何度となく言われていたことでもある。
アベノミクス中流層以下を切り捨てる政策であること。
GDPの値なんぞで国民のお財布事情が分かるわけではないこと。
安倍は日本会議勢に吹きこまれたトンデモ史観に目を輝かせちゃったこどもでしかないこと。
このブログでさえ、これらのことはガイシュツである。それでも、それらのことが大手メディアによって発信され、多くの国民の認知するところになったことはとにもかくにも喜ばしい。Twitterでおいらがフォローしている人たちはここぞとばかりにこれらのことを連呼している。「よかったよかった」で安心してしまうおいらと違い、彼らは今こそ、と、これまで何度となくツイートして来たはずのことを繰り返す。周囲への認知のための千載一遇のチャンスをきちんとモノにしようというマメさに頭が下がる。
ともあれ今回おいらが問題にしたいのは、GDP速報が出た時、これまでアベノミクスマンセーしてた連中の多くがかなり本気で動揺していたことだ。ぶっちゃけおいら、GDPなんておおかたでっちあげだろう、くらいに思っていたので、このことは正直、意外だったのである。GDP自体でっちあげ、って時点でこれは自覚的に陰謀論である。しかし、まがりなりにも経済評論家を名乗り名を上げて来たあいつらが、安倍の弁に完全にのっかっていたのかと思うと慄然とする。安倍自身、あれはもうどこを見ても芝居ができる器ではないので、彼の動揺は本気だろうし、お花畑に生きて来たその目につきつけられた「現実」に泡を食うのはむしろ当然なのだが、経済評論家がそれでどうするんだよ。恥とかねえのかよ。
ともあれ、安倍にお花畑を見せて来た経済界やら一部官僚やらの足並みが揃わなくなって来ていることは確かだろう。いろいろなものがもう、トボけたり隠したりできないくらい大きな問題になって来ているということ。だから今、本当は喜んだりしてる場合ではないのかもしらんね。
けどなあ、んなことはオレは本当はどうでもよくってだな。
前回GDP後退を「想定内」とかヌかしてた連中よ。この半年で職を失った人たちの前でその「想定」の中身をつまびらかにし、「あんたらの失業は想定内でした。代わりにこれだけの成果を得ることができたのです」と言えないことについて釈明せんかい。
彼らはなぜ仕事を失わなければならなかったか。