つかこうへいは出版界から「干された」のか

美味しんぼ騒ぎもひと段落ついたので、以前から出版界そのものに持っていた疑念について書き留めて置くことにする。
きっかけはつかこうへい。深作'80映画の白眉「蒲田行進曲」の「銀ちゃあーん!」と叫ぶヤスの台詞を、一定以上の年齢の方なら誰でも知っているだろう。あの原作者。もとは「熱海殺人事件」で史上最年少で岸田戯曲賞を受賞した天才劇作家。風間杜夫を「日本人で唯一タキシードが似合う役者」として育て上げ、芸能界にも太いパイプを持っていた。平田満あたりは大学で一緒に芝居を打っていた間柄。「つかに演出してもらった役者は伸びる」との伝説が蔓延し、今でも活躍している芸能人の中にも彼の演出後「一皮むけた」とされる人が多い。沖雅也を代表に「潰された」役者も多いが。
前述の「蒲田行進曲」の小説版で直木賞。また、1982年につかこうへい事務所を解散した後は小説であることを前提に書かれた作品をいくつも出した。「銀幕の果てに」「幕末純情伝」「龍馬伝」などがある。バブル絶頂期のいわゆる「小劇場ブーム」で演劇界に返り咲き、熱海殺人事件のバージョン違いは上演のたびに天文学的な来客を誇った。当時の有名人の言葉にも「観に行った、すごかった」といったコメントが多い(吉田戦車など)。物語作家としてのみならず「つかへい腹黒日記」での虚実入り混じったエッセイ?、読み物的な著作も多い。
1990年に「娘に語る祖国」で在日朝鮮人であることをカミングアウト。いつものべらんめえ調を抑え、娘に語りかける口調で書かれたこの作品もベストセラーとなり、そっち方面には全く疎かった私の母までが買って読んで、泣いていた。
ところがそんな彼の名前が唐突に書店から消えることになったのである。
今さらながらにネット検索を駆使してみると、どうもきっかけは「娘に語る祖国『満州駅伝』従軍慰安婦編」であったらしい。
もともと虚実入り混じった記述をしながら人間を掘り起こす作風なので、いまどきのネット論壇に出したら大混乱必至な作品ではあるのだが、これの発売時、なんとも後味の悪いインタビュー記事を書いたのが「あの」阿比留瑠比だった。
その内容はあまりに胸糞悪いので転載する気にもなれない。興味のある人は検索してくれればいい。ただ、つかのファンなら誰でも知っている彼の姿勢…立場や社会的断絶を「超えた」人と人との繋がりを描く…から得た彼の知見を「日本軍ばかりが悪いわけではない」と言い換えてしまっている。
その記事へのつかのリアクションがあったか否かは知りようがないが、この作品後、彼の活字媒体を対象に書かれる作品は姿を消す。「龍馬伝」などは完結していないままだった。あくまで陰謀論の域を出ないが、このこと自体がつかこうへいの阿比留某とそれを取り巻く環境への抗議であったとはとれないだろうか。ちなみに阿比留某、そのつかこうへいが亡くなった途端にブログでその記事を持ち出し、慰安婦を批判するダシにまで使っている。まるで死ぬのを待っていたかのようなタイミングだった。
…と、これはつかの死後、本屋をやめた後で知ったことで、'00年代の私はついこないだまで山ほどの文庫があったつか作品がほぼすべて「絶版」となっている事実が不思議で仕方なかった。つか自身は亡くなるまで精力的に芝居をつくり続けている。なのに出版界からは「干された」としかいいようのない状態となっていること、そろそろ本多勝一あたりが「日本会議」の存在に言及していたこと、ネットで嫌韓嫌中がトレンド化していったことなどから、どうしても「なにかしらの力が働いているのではないか」という疑念を拭えなくなっていた。つかが亡くなった2010年、ニュース他で結構な騒がれ方をしたにも関わらず彼の著作の絶版が解けることはなく、演劇人であった経歴を持つジュンク堂の人の尽力で全集が発行されたにとどまった。あの夏、書店は追悼フェアすら打てなかったのだ。
出版界は、発行から小売まで膨大な人の関わる世界だ。関わる人が増えれば増えるだけある種のバイアスも受けやすくなる。それが「おしごと」である限りにおいて、カネの力というのは絶対的なものだし、一部の善意や想いなどはある程度のカネがあれば粉微塵に消し飛び得る。
つかが「干された」のかどうかは結局分からない。けど、出版界って、そういうことがいつ起きても不思議はない所だと今でも思っているよ。