平城宮問題を冷笑し続けたのは誰だ

平城宮工事については2012年の工事開始時に某雑談サイトでグダグダやった覚えがある。ことの経緯をまとめて置くと
1)長岡京遷都後水田地帯となった平城宮エリアは、それゆえに遺物の腐食や酸化から奇跡的に守られて来た。
2)そのまま千年以上。江戸時代に再発見の糸口があり、明治時代には保存運動が起きて国有地化。遺物を守ってきた環境を受け継ぎ湿地、草地となった。
3)地下の遺物が奇跡的に守られていることが評価され、地上になにもないのに世界遺産登録。
4)2012年、平城宮後の観光地化のため舗装工事が開始される。地元民にもユネスコにも相談はなかった。使われるコンクリは特殊なものと説明され、国土交通省は「遺物への悪影響はない」としたが、当の工事を請け負う会社の説明では「地下の遺物への影響は分からない」
この時点までの記憶しかないが、ここへ来て工事が「再開」されたという。「再開」されたということは抗議が一応受け入れられていたらしい。ここへ来て再開となったのは国土交通省文化庁にくだんのセメントでいいか、とのお伺いを立て、文化庁が「問題ない」としたことによる。
工事するならなによりも発掘調査が先じゃねーの?というツッコミがなぜ無視され続けて来たかが素朴に疑問だったりするのだが、とにかく工事は始まってしまった。一度行ったことがあるが、実は平城宮跡の原っぱというのは、それだけでなんともいえない風情のあるところで、地元民の反対は貴重な木簡どうこうより、あのステキな原っぱに無粋なテーマパークをつくることへの反感が大きかった気もする。けど、それはそれで十分に検討すべき「価値」なんだよ本当は。盛岡も戦後のゴタゴタで所有権のはっきりしない桜山商店街をぶっこわして盛岡城の遺構を復元。市民の憩いの場とする計画が進んでいるが、当の桜山商店街は盛岡人のソウルフードじゃじゃ麺」の発祥地である「白龍」を擁し、また昭和の風情を色濃く残した観光スポットでもあるため反対運動が起きている。平城宮の問題に引き合いに出すには失礼なレベルなのかもしれんが。
今さらながらに平城宮に触れるのはTwitterでフォローしている方がとても今度の工事を危惧しており、さまざまな情報をつぶやいていたからなのだが、結局のところ、人の過去の営みを「保存する」という行為が持つさまざまな側面をもっと注視すべきであることを改めて教わった。なぜ保存するか、なにを保存するか、どうすれば保存できるか、という、本来なら最も話の焦点であるべき問題が、あまりにも軽く扱われている。平城宮に限らずこの「不用意さ」にはもっと、敏感になった方がいい。大体役所主体の「遺跡整備」って、ほぼすべてが画一的な「公園化」でしかないから。はるばる旅して来てやっとついたその遺跡が、地元のナントカ遺跡公園と一緒にしか見えないというのは非常によくあることで、あのがっかり感ったらない。観光地化したいなら絶対にやってはいけないことだと思う。
それにしても、2012年に雑談サイトでモメた時にも「お上の言うことにはとにかく従っとけ」的なことを言うやつがいた。いた、なんてレベルではない。群れて冷笑の大合唱をしているようにしか見えなかった。「役所はちゃんとやっている」「(役所のサイトを示し)やってないじゃん」「なんだおまえサヨクか?」みたいな。あの発想が未だによくわからないんだよね。「そこにしかないもの」への対応に配慮を求めることは「お役所的」への批判に繋がりやすいが、別にお役所を批判したくてその問題に首を突っ込んだわけではないのにね。
まあ、一日中ネットでぎゃーぎゃー言ってられる人ってのは圧倒的に公務員が多いってことはWikipedia書き込みドメイン流出事件で知れ渡ってるわけだけど、そこには敢えて触れないようにしてやってるんだぜ。こっちは。