自己責任ってやつ

松本大洋の「ピンポン」を今さら読み返して泣いた。「花男」「ZERO」と来ての、松本大洋スポーツものの総決算的な作品。間に「鉄コン筋クリート」が挟まっているが、あれはむしろ当時の彼としては異常な作品だった。連載中のあの頃は、自分にとって生涯最良の仲間の中で生涯最凶の敵に挑んでいたのだが、寝る間もない多忙の中でもスピリッツが発売される朝にはコンビニに走っていた。中島らもが「来週のあしたのジョーを読むまでは死ねない」としがみつくように生きていた頃のことを語っていたが、まさにそんな感じだった。
と、それはそれでいいのだが、
ネトウヨ」という単語を聞いたときイメージする人のビジュアルが、自分にとってはスマイルそのものであることに突然気付いた。苦笑するより他なかった。
自分の殻に閉じこもりがちで、しかし外の世界に漠然と憧れを抱いている。自分を助けてくれた「ヒーロー」に強く依存しており、その行動原理の幼稚さに自覚がない。
もちろん劇中のスマイルはとっても感情移入できる男だ。けど、そばに「とっても素敵よ」と言ってくれる老コーチ夫妻や、なによりいつもスマイルのことを気にかけてくれるペコがいなかったら、あのひたむきさはどうなっていただろう。そう考えると薄ら寒くなる。ヒーローが来なかったスマイルたちって、明らかにこの世にたくさんいそうだものな。
こんなことを書くと「我こそはヒーローの来なかったスマイルなり」みたいな人が寄って来てああだこうだ言いそうだ。やれスマイルに感情移入できたのなら(似たような境遇の少年が主役の)○○を読め。これを読んで分からない奴がスマイルを語るな、的な?いや実際そういう輩に何度も出会って来たからそんなことを思ってしまうのだが。
もちろんいち読者たる自分が好きなのはペコやコーチの老人たちに励まされて自分の溜め込んで来たものを吐き出すことのできたスマイルだ。ヒーローにもコーチにも出会えず燻っているスマイル?がもし目の前にいたとしても多分、気にも止めないだろうと自覚しているし、それでいいとさえ思っている。自分がスマイルのような境遇であったこと、そんな中で自分に飛び方を教えてくれる人がいたことはとても幸運だったという自覚がある。だからそうやって燻っている人になんとかしてやれないかという気持ちはないこともないが、あれこれ理屈言って自分の殻に閉じこもる人に、そこまでやる必要あるか?と思うことの方が多い。
なにしろ、彼らが自分と他者の間に壁をつくるのは彼らの意志だもの。そこにいかなる情念が籠っていたとして(その救済への想いが手に取るように分かるほどのものだったとして)も、壁をつくる彼らの行いは彼らの自己責任だ。自意識と価値観によって選び取った選択であることの方が多いのだ。幼馴染だったり、ともに腹を割ってでないとなにかを作り出せないような仲間でもない限り、相手の意志を無視してまで引っ張り上げてやろう、などとは思えるものではない。
だから、そんな「ネトウヨ」がいたとして、本当は自分をなんとかしてくれー、的な叫びとしてのシュプレヒコールを上げていたとしても無視するよ。というか、自分のメンタルと政治くらい分けて考えられない奴は黙っとけ、くらいは言うよ。
オレはそういうのこそ「自己責任」だと思っている。そういうスマイル?たちが、生まれや肌の色や何やらの「自分の意志では選べないもの」に由来する事象を「自己責任だー」と騒いでるとしたら、これほどアホらしい話はない。