「永遠の0」を憎めないワケ。百田尚樹を許せないワケ。(2)

永遠の0」を最初に読んだのは数年前。さらっと読み飛ばしただけだった。今になって作者の百田が日本を揺るがすお騒がせ男になり、永遠の0が右翼小説扱いされていると聞いたとき、最初「冗談でしょ?」となった。読み飛ばしただけにせよ、小説そのものの印象は悪くなかったと記憶していた。
で、今になって改めて読むと、確かに重大な欠陥が見える。今回はそこに触れる。当時気付かなかったのは自分の不明だが、それについては後で述べる。
今北産業的にこの物語を語ると、
いろんな事情で零戦パイロットになった男がいました。
彼には残してきた妻と子がいて、「必ず生きて帰る」ためにがんばりました。
けどアホな軍部の采配で日本はドアホなことになり、彼は特攻で亡くなりました。
そんな彼の孫たちが、知らされていなかった彼のことを調べてうるうるしました。
こんな感じ。
とりあえず、物語というか人の、身も蓋もない原則を述べよう。
「本気で、誰かのためにがんばった人の姿はうるっとする」
ただそれだけのことだ。妻のために、子のために、必死で生きた主人公は、どうひっくり返しても涙を誘うようにできている。
彼がいかに必死だったか。仲間は「命はないもの」と強がっている中、「いや、私は生きて帰る」と言い切って嫌われたり、軍上層部の無能により次々と負けて行く中、仲間を失う中必死で生き延びたり、いよいよ特攻が始まった頃には「私は行きません」と言って上官にブチ切れられたり。それほどまでしても「生きて、妻や子に会いたい」というキャラ付けをされている。泣く人はもうこの時点で泣くらしい。無理もない、とは言わないが、そういう風にできている。とは言えるだろう。
で、多くの人が問題視する特攻作戦へ。それほどまでに生きたかった彼が何で(生き残る手だてはあったのに)特攻に赴いたか、というのが物語の核心部分になっているわけで、多くの人はここでヤられる。「0」を問題視する人が取り上げるのもここ。
なのだが、どこを切っても、必死で生きて、とにかく死んだ男の物語でしかない。
この核心部分の運びにブレを見出す人も多いようだが、ネトウヨくんたちの巣におじゃまして、彼らの弁を眺めている限り、「俺も彼のようにかっこよく死にたいなあ〜」なんて人は見当たらず、彼らの間では「反戦小説」ということになっている。くだらんようだがここ重要。特攻というしょーもない作戦のしょーもなさを、ネトウヨですらとりあえず理解はできてるのだ。話運びのブレによって特攻賛美へ誘導されているとは、少なくともおいらには思えなかった。大体若い男には破滅願望のひとつやふたつあって当然。少なくともそれが「戦争や特攻の肯定」へと政治化されない限りにおいては、いつの時代にも見られるものなのである。まして主人公は破滅願望に毒されて死んではいない。
要するに、太平洋戦争を舞台にしているだけで、話だけ見るぶんにはこれは、本当にただの「がんばって妻子のために生きた男の物語」でしかない。
なのに何が問題だったか。
劇中、多くの死が出て来る。登場人物たちの事情はさまざまで、死に方もさまざまなのだが、例外ないのが「護るべき何か」があったこと。物語は祖父(主人公)のことを調べている現代の若者が、祖父のことを知っている高齢者の話を聞きに行くという体裁なのだが、それぞれの話の最後に、まとめとして必ず入ってくる文言がある。
「あの人は(守るべきそれぞれの何か)と、日本のために戦ったのだ」
けどね、これがこの小説の一番おかしなところなんだけど、エピソードのどこをどう眺めてもこの「日本のために」という台詞でまとめるべき部分がない。
家族とか、好きな人とか、懐かしい土地とか、そういう具体的なものは出て来るんだが、「日本」なる言葉に繋がる描写は一切ない、ここが今になって読むと物凄い違和感なのだ。何度も出て来る。
今のネトウヨは逆で、「日本のためだ!」とか言って安倍政権を賛美しているけど、例えば同じ国土である福島で起こっていることのために命を張ろうとはしない。同じ国土なのに、同じ日本なのに。なら彼らの言う「日本」って何?という疑問が湧くわけだけれど、(ベクトルが逆なだけで)これと全く同じ構造が「永遠の0」にはある。
劇中、安倍内閣に相当する大日本帝国政府及び軍部のことは、むしろ徹底的に叩かれている。その無能さに腹を立てながら言われるままに死地へ赴く男を書き、特攻などという非人道的な作戦を立案し、将校たちの反発を浴びても実行してしまう海軍上層部のことを「官僚的」とまで書いている。彼らによってひどい目に遭わされる登場人物のひとりは「こんな国は滅んでしまえ!」とまで叫んでいる。
なのにまとめの段に入ると必ず入る「日本のため」。これは何なのだ?
これがこの作品を「右翼小説」ならぬ「右翼が礼賛する小説」にしてしまった理由なのだと私は思う。靖国と一緒なのだ。本当は偉い人の金儲けの片棒担がされただけの兵隊というだけなのに、兵隊もエライ人も一丸となって「日本」を守ろうとした、という物語。
少なくとも安倍や麻生、石破らにとってこれほど都合のいいものはない。
今年に入り、読み返した時、「あ、これはファンタジーなんだな」と思った。ファンタジーと思って読めば、なんということはないただの男のロマン。けど、この「物語」を利用したい人にとっては「紙版、靖国
これを百田が意図してやったかどうかは分からない。ただ、彼は自ら描いたファンタジーに飲み込まれた挙句、その「悪役」であった軍上層部におさまった。このことがますます「永遠の0」を「右翼が礼賛する小説」にして行ったことは間違いないと思う。
…私が百田尚樹を許せない理由は実質これに尽きるのだが、この許せなさについてはもうひとつ、回を改めなければならない。(つづく)