「最後は金目でしょ」

放射能関連の報道で、例えば斑目発言があれほどに叩かれたのに石原某のゲス発言がそれほど問題とならないのは、斑目の時は日本全国にフクシマへのシンパシーがあったこと、今はないことが関係しているはずだ。同じかそれ以上にゲスな石原発言と斑目の扱いの差を不公平とか言うと党派主義に陥る。状況は変わっている。
こちらが危惧するのはあのクソガキがあれだけ無神経な発言をケロリと言うようになっているという事情。すなわち地元を丸め込む算段が既にウラでついてしまっているのではないか、ということ。今度のことは中間貯蔵施設の話だが、宮城の最終処分場候補地に最近視察が行った。政府は「視察した」というアリバイを得たし、あとはカネばら撒いて自治体代表を手なずけるだけという状況になっている。
住民がどれだけ反対しても自治体首長が首を縦に振ればそれだけでことは決まる。そんでもって「地域振興」のためにと落とされるカネは住民ではなく痴呆自治体が得る。その後何があっても「カネもらっといて文句言うな」と抗議を封じられるのも住民だ。
例えば政府や自治体首長らにカネ以前のビジョンが実はあって、その上での決断だったというならまだ分かる。しかし今回の石原クソガキの言は、迷惑施設誘致において国が問題とするのはカネの問題に尽きることを計らずも白状してしまったようなものだ。
何度でも書くが、原発がああなった以上、どこかで除染のための施設が必要なことは誰でも分かっている。分かっていながらみなが嫌がるのは、国やそれに属する組織に対する住民の「不信」がすべてと言っていい。それで何かが好転するという見通しも、原発事故への真摯な対応もなにもなく、ただ血税をみょうちきりんにバラ撒いて「復興事業」と称する国のうすらを笑われているのだ。奴らのつくる「施設」なんて何の役にも立つまい、と、ナメられ切っているのだ。かたがきが偉いだけで誰も言うことを聞いてくれないみじめな管理職以外の何者でもないのだ。あんたらは。
それで痛くも痒くもないというなら、要するに連中は国民以上の何かにでもなったつもりであるのだろう。
仮に今武力革命が日本に起きたとして、安倍以下政府首脳の首がスッパスッパとギロチンの餌食になったとしても、もう全然同情心は湧かないな。こりゃ。