物語の力

眠れない。明日は九時出勤だからまだなんとかなるが。今の職場に来て以降、自分の思索(なんてカッコエエもんじゃないが)にふと集中してしまうと身体が仕事モードに戻るのに時間を要するようになった。たぶんそれだ。
昼間に久々にマン喫に行き、去年話題になった「進撃の巨人」を一気読みしている。話に聞いていたとおりというか、生存そのものが脅かされた時の人の描写に力が入った作品で、そして予想されたとおり「どこかで見た台詞」に溢れていた。どこって、そりゃネット上で。ネトウヨたちがなにかと言う言葉の中で。予想外だったのはその「おもしろさ」である。扱う題材や世界観なんかで関心することはまずないオレなので、しきりに「おもしろい」と感じたのがどこかと言えばそりゃ、人間の描き方だろうな。不思議なセンスがある。巻末の「ニセ予告」みたいな、不思議なユーモアだ。
…マア、彼らが自らをこの手のマンガの登場人物に仮託してその昂揚感を消費していることなんて、オレが言うまでもなく、誰もが感じていることではあるんだろうが。
物語はそういう力があるし、だからこそ物語はかけがえがないのだ、ということを忘れないようにしたいのである。永遠の0も、恐らくは多くのガンダム作品も恐らくはネトウヨたちの滋養になっている。けど「だから物語を規制すべき」とは言ってはいけないのである。
平野共余子天皇と接吻』という本に、日本が太平洋戦争で負けたその日から一週間、一切の映画館が封鎖されたことが書いてあった。そしてその上映再開にあたりCIEから以下の「指導」が入っていたことは案外ネット上では語られていない。ネトウヨさんどもに餌を与えるようなものかもしれないが、とても大事なことなので引用しておく。

・生活の各分野で平和国家の建設に協力する日本人を描くもの。
・日本軍人の市民生活への復員を描くもの。
・連合軍の手中にあった日本人捕虜が復帰し、好意をもって社会に迎えられる姿を描くもの。
・工業、農業、その他国民生活の各分野における日本の戦後諸問題の解決に率先して当たる日本人の創意を描くもの。
労働組合の平和的かつ建設的組織を助長するもの。
・従来の官僚政治から脱して、人民のあいだに政治的意識および責任感を高揚させるもの。
・政治問題に対する自由討論を奨励するもの。
・個人の人権尊重を育成するもの。
・あらゆる人種および階級間における寛容威厳を増進せしむるもの。
・日本の歴史上、自由および議会政治のために尽力した人物を劇化すること。

自分らが接し、親しみ、愛着を持ってきた戦後の日本映画は、とにもかくにもこのガイドラインに沿ったかたちでつくられて来たという事実を、今の日本人は一度は噛み締めた方がよい。自分の美意識がどこから来ているか。それがこれから生きて行く世の中に合致しており、かつ自分の欲のベクトルとリンクしているかを「自分のアタマで」考えた方がよい。一度は。
少々長いがまた引用。

「封建的な忠誠および復讐の教義に立脚している歌舞伎的演劇は現代の世界においては通用せず、叛逆、殺人および欺瞞が大衆の前で公然と正当化され、私的復讐が法律を無視して許容されているかぎり、日本人は現代の世界における国際関係を支配している行為の根本を理解しえないだろう。西欧世界にも重大な犯罪はある。しかし少なくとも道徳の基準は善悪の判断の上におかれ、決して藩閥や血族への忠誠というものによろうとはしなかった。国際社会に地位を占めようとするには、日本人をしてあらゆる娯楽および報道機関を通じてつぎの各項を熟知せしめなくてはならない。すなわち民主的代議制の基本政治理念、個人の尊重および自己の欲しないような取り扱いを他国民に対してなさないこと等々。自治の精神などが国民のあいだに徹底されなければならない。日本人の国家、家庭、労働組合における協力および自治こそ、今後長年月にわたる日本の再建期における日本人の生活の一端となるべき基本的概念であり、劇映画はこれらの観念を大衆に体得させるにふさわしい手がかりを提供するものでなければならない。

日本の映画は過去現在未来において軍国主義を鼓吹または承認するようないかなるものも表現してはならない。時事映画はとくに今日の現実を表現するに重大な役割をもっている。ポツダム宣言の履行に寄与するあらゆる事実をニュース映画として記録しなければならない(たとえば戦争犯罪人を攻撃する政府首脳の演説、戦争の実相を語る帰還軍人、再建日本の諸問題を討議する楼度、商工業、農業等各種団体の会合等々)」

言ってしまえば「西洋的価値観の押し付け」であることは間違いない。同時に、当時のアメリカ人たちがいかに日本人を注意深く観察していたかが良く分かる。そしてそして何より、彼らがいかに「物語の力」を知っていたかも。これは一種の「布教」だろう。なぜ安倍ら日本会議陣営が「家族を大事に」とか言い出したかの、これは多分元ネタのひとつになっているんだろう。言いたかないが、現政権とそれにまつわる団体たちはこの文が問題視していることのほとんどを「取り戻そう」としていることくらいどんなバカでも分かる。
けどねネトウヨくん。オレらは、少なくともオレは、そんなことはとっくに分かった上でここで奨励されている社会を望んでいるってことを忘れて欲しくないんだよ。
んでもって少なくとも「進撃の巨人」の台詞群に酔っぱらえるほど暴力に無縁な世界で生きて来たわけではないんだ。その上で、自分らがこの世界でうまくやって行くにはどうするかを考え、その結果安倍氏ねを言って来たつもりだよ。あの「世界」の大変さよりもっと大変な「今の世界」でうまくやって行く方法を、常に考えているつもりだよ。
自分が世界で孤立してしまっているように思えた時、すべてが敵に見える時、そんな時は誰でも一度は迎えている。そこで負けて屁理屈を一生続ける子どもみたいな大人になっちゃいけない。そこを「戦い抜いて」行かなきゃいけない。あんたらの武器は立体機動なんかじゃないし、あんたらの敵は巨人でも中国でもないはずだ。