NO!ヘイトが発売になっている

ということで本屋回りしたが案の定、盛岡の書店には一冊もなかった。版元がころからという新しい会社で、一冊一冊を丁寧に売りたいということで取次との契約が大手とは違っているらしい。ISBNも取っているし注文すれば普通に入手可能なのだろうが、やはり店頭にないというのはとても残念だし、もったいないことだと思う。もっとも硬直化したレコ会社の「業界」からインディーズが飛び出した過程を思い出せばこれでいい気もしないでもない。まずひとつの島をつくる。そこの住人を増やすというやり方。音楽のように即効性のあるメディアでない以上広がり方は遅いだろうが。
いずれにしても、それなりに大手の出版社の社員が参加している「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会」の本がこういうかたちでしか出ないというのが、現時点での曲げようがない現実だ。ここからどうするか。
彼らのことを思うとき、改めて、政治に対する主義主張が自分の行動や立場を左右してしまうということの不健全さを思わずにいられない。ヘタレた時代で半生を生きてしまった自分の限界なのだろうか。案の定のAmazonの「賛成or反対」ゼロサムクソレビューっぷりを見るとしかし考えずにいられないのだ。立場をはっきりさせた、ということは、その立ち位置を快く思わない者たちの敵に回ったということでもある。マガジン9のインタビューで岩下氏もおっしゃっている「ダメなものはダメ」で行くしかない世界で、立場をはっきりさせるというのはそういうことだし、彼らはそれをも承知で動きだしてくれたのだろう。そうせざるを得ないだけの悲惨があったことを知っている。
しかしやはり、なんだが、多分、いわゆる「論壇」でこれを動かすのは無理だと私は感じてしまっている。賛成か反対かでない、もっと根本的な本の眺め方があったはずで、それは「論」というより「人がなぜお天道様の下で胸張って生きて行けるか」というものに関わっているはずで、むしろ「そうでなければならない」とすら思っている。アベノミクスのクソっぷりも、朝鮮人でてけも、「中国が攻めて来る」も、今の世の中に「富の再分配」という物語がおろそかになっていることの問題だと私は感じているし、それは人の良心と、さまざまな組織を生きる個々人の能力差と無関係ではない。
そうまとめてしまっても何もよくはならないから、まず自分は自分の仕事をしなければ。彼らががんばってるんだから。