ドーザーとかなんだとか

理屈屋どもの原則論、そもそも論を真似て言うなら、だ。
「怒りのブルドーザーデモ」は暴力的であることを売りにしてるから駄目と言う人は、大衆が群れとなって体制や既得権益にしがみつく奴等を引き摺り下ろすという行為を、暴力以外のなんだと思ってるんだろう。
ブルドーザーがイコンとして不適切、という指摘はまだナンボかマシに思えるが、それを当事者の1人として言うならあんな言い方にはならんかったんじゃないかい?「だから駄目」と、揚げ足とって喜んでるだけの姿勢を彼らに見透かされたからこそ、アンチ「ドーザー」の人たちはクソミソの応対を受けたのではないかね?
いち地方都市でデモに参加してみんさい。定年過ぎのじーさんばーさんが、俯きながらコールを復唱するだけだ。参加しようってだけで相当な勇気が要る。それでも自分の思いをなにかしらの「力」としたいとき、地方都市の住人は恥を忍んで、会社の同僚にバレることを恐れながら、あの群れに参加するより他ない。
イコンのひとつやふたつでウダウダ言う、自分らがいかに恵まれているかすら分からん奴は、地方都市のじーさんデモに参加する度胸も、そうまでして変えたい体制への怒りだってあるまいよ。