ひとつの神が生まれた場所

新車購入記念に震災メモリアルパーク中の浜に行って来た。
http://f.hatena.ne.jp/dek_nobo/%E9%A0%86%E5%BA%8F%E9%80%86%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82/
(写真の並び順が逆になってしまっているので「古い順」にした上でご覧ください。)
岩手県宮古市。田老との境界のほど近くにあった中の浜キャンプ場に残る津波の痕跡を公園化したもの。かつてはちいさな砂浜?のすぐ横に鬱蒼とした森が迫る不思議な楽園感のある場所だった。宮古周辺の住民にとっては思い出深い場所らしい。自分も若い頃何度も行った場所だ。
2011年の冬に行ったときにはがれきしかなく、ただ車が走れるよう砂利道だけはこしらえてあったのだが、さすがに三年も経てば変わって来る。あの災害の後、ここの人たちは「懐かしいキャンプ場を復活させよう」とはせず「震災の記憶を永くとどめるための場所」にする選択をしたということ。その選択自体を環境省がやってたのだとしたらそれほど罪深いことはないが。
かつては鬱蒼とした森だった場所ががらんと見通しのいい広間になっているのは隣町の田老同様。そのところどころにオブジェとして残された震災遺構がやる気なさげに転がっている。不思議な感覚で、いかにもお役所整備的な歩道や柵や石畳が、これ以上ないくらいねじくれた震災の痕跡(本物)を見事なまでに虚構化してしまっている。史跡のお役所による公園化にオレが一貫して否定的なのは彼らには「こういうこと」しかできないからなのだが、この中の浜においては「妥当」と思えてしまう。
このようにすることでしか人は震災から「距離を置く」「第三者目線で眺める」ことができなかったのではないか?
たとえば原初の神社というのは自然物に注連縄を巻いていたりしたそうだ。注連縄は巻かれたものを神聖化する。つまり虚構化する。南紀の「花の窟」なんかはいい例だろう。紀勢本線有井駅からえっちらおっちら歩いて行くと「あれがそうかなー」と見えて来る岩肌には「なんだありゃ」という違和感しかない。その自然物を「そのようなかたちにした何か」の存在は注連縄に意味づけされることで初めて観る者の眼前に立ち現れる。中の浜のトイレ廃墟を「オブジェ化」した柵が注連縄に見えて来る。そのとき、津波というものが日本八百万の神のひとつとして、自分らがもうどうすることもできなくなった過去を引き受け天に昇った。そんな気持ちになった。
スピリチュアルの専門家の人に言わせりゃ「なんだその屁理屈」となるだろうが、それはそれでいい。しかし自分の気持ちは不思議なくらい晴れた。トンネルひとつ奥の漁港が瓦礫の山になっているのを見に行ったが、もう泣くようなことはない。