週明けが怖い。

今週の勤め先が結構ヤパい状況だった。認知症が突然進んだ利用者様が二名。片方はデイサービスの中でもみなのムードメーカー的な方だったため他利用者の動揺は大きい。認知症の進行の要因として失敗経験、マイナス思考、失望などがあることはどこまで本当かは知らないが介護福祉士のテキストに明言されていること(だから妄想に対しても「それは違う」という現実認識の訂正すらやるべきでないとされる)。みなで元気に楽しく、というムードづくりが命に関わる実感をいやってほど感じた。作り笑いしまくりで表情筋が痛い。つくづく恐ろしい商売である。
例えば認知機能のメカニズムが飛躍的に解明されて、仮に失敗経験や傷付く言葉を浴びせられることが認知症を進行させることが「証明」されたら、と考えるとそれまた恐ろしい話で、今の人間の衛生倫理に照らせば「人を言葉で傷つけること」自体を法規制せにゃならなくなる。おそらくそこまでは国家というのは面倒を見ないから衛生倫理そのものが見直されることになるだろう。そのときが今の安倍みたいな連中の政府なら、と考えるとまたまたぞっとするのである。
…といいますか、この一週間きりきり舞いを強いられた介護スタッフの受けた精神的ダメージには補償つくんか?気持ちの落ち込みと認知機能の相関関係が証明されたら、介護ってのはまさに「命を削る」商売ってことになっちまうわけだ。入社した早々「絶対に何も考えずに済む趣味は持った方がいい。とにかくうつになりやすい仕事だから」という言葉の意味がとても良く分かる。
情熱を燃やしたり、笑ったり、つくったり、そういうものの根っこを大事にしたいならあーた、ますます政治なんて見たくなくなりますがな。短い一生ですもの。
それでもやらんといかんでしょ?人間の一生は失敗経験や傷つく言葉ややなムードやなんやかやの連続だ。それを恐れてもどうともならん。