久々にギターを弾いている

友達とコピーバンドなぞやった後で、他人の弾いたソロをなぞることに窮屈するようになったギター小僧がまず覚えるのがペンタトニックスケール(ド、レ、ミ、ソ、ラ)。これを覚えると、周囲の演奏の邪魔をしない音使いが分かるようになる。ラジカセなんかで古いR&Rやブルースをかけながら、それに合わせておずおずとEペンタをなぞる時、そこで初めてギター小僧はアドリブの快感を知る。要するにクラシックだナンダの理詰めっぽくて高尚っぽくてフォーマルな世界から被差別民の働く南部の牧場へとギターを連れ出したのがペンタトニックスケールだったといっても過言ではない。
ところが、ペンタトニックっていうのは全世界のルーツミュージックで結果的に使われているものなので、ただなぞるだけだと民謡みたくなるんだよね。そいや、Thin Lizzyの多くの単音リフやGary Mooreのアイリッシュ曲はまんまペンタだし、高橋竹山津軽三味線を延々聞いてると音使いそのものはペンタであることに気付きびっくりする。けどそこにチョーキングやらビブラートやら、ギター特有の響きを織り交ぜることで「んー、ロックやね!」みたいなリードギターが鳴らせるようになって行くわけ。
最初はたった五音の簡単な発見。
けど、ギター小僧の「探求」はもうこの時点で始まっている。だれそれみたいなチョーキングができるようにならなきゃ話にならん!て人もいるだろうし、「いかにもロック、みたいなギター弾いてて楽しい?」とか言う人もいるだろう。単音メロよりリズムが大事と言い張る人もいればその逆だって絶対いる。スケール感をはっきりさせるのは恥ずかしいとノイジーになって行く人もいるし、逆にもろ「ペンタです!」と主張するようなギターリフを生涯に渡って嬉々として弾いて行く人もいるわけだ。
そのどれを選ぶかはそいつ次第。明らかなのは、それらあらゆる方法論に「間違え」はないこと。ただしその方法論でウケなかったならそれはどんなに高尚な理念のもとで奏でられたものだろうが「間違え」なんだということ。
そんな世界に一度でも身を置いてれば、ちょございな理論で世の中を斬った気でいる人なんて哀れでしかなくなるだろう。答なんざ星の数ほどあるのに、その満天から星いっこ掴んだだけで天界そのものを掴んだ気になれるなんてアタマ大丈夫か?とならざるを得ない。また、満天の星の中からいっこの星しか選べないような環境や、いっこの星のみを礼賛するような体制に置かれたら、自然と、そして真剣に「そんな不自然なことはない」とブーイング垂れることになる。
逆に、自分の手足は日本ずつしかないのにあらゆる星を一気に掴もうと焦るのか、星それぞれを眺めるだけでその星を自分のものにした気になる人もいる。いくら「あっちの星は甘くてこっちの星は苦くて」と口上ばかり達者になっても肝心のギターが鳴らないのでは話にならない。
こんな、ギター小僧の営みっぷりと、Twitterで交わされる「議論?」を比べて、どっちが「人の世」に近いか、どっちに人の世を持って行きたいかと問われれば、オレは断然前者ですねえ。