東京が「世界の田舎町」になる日

地方都市に住んでるとよく分かる。衣食住のうち住は満たされている人が多く、食は地元経済が回っている限りは安心してよかった。衣は趣味嗜好が最も入りやすいから地方のみ独立というわけには行かないが、死ぬほどの不便をするわけではない。地方は独立できていた。そこにいる人たちをそこにいる人たちで「食わせる」ことができていた。
消費税導入、課税強化はそういう地元経済を根底から揺るがし、外資系企業、全国展開のショッピングセンターが入るに至りほぼ完全に破壊されたわけだが、地元は地元で独立できていた時代というのはそう昔のことではない。盛岡で言えば、大型SSの第一号であった前潟イオンが出店するまでは、例えば街の中心地である大通商店街で正月に営業していたのはゲーセンと飲み屋くらい。そんなにアクセク働かなくても「食えて」いたということ。さわや書店に勤めていた友人が、その次の正月から元旦営業と相成って「イオンのせいで〜!」とムクれてたことを今でも覚えている。たかだか十年前のことだ。
国家の役割が国民を「食わせる」ことなら、あの一連の動きは明らかに「失敗」だったと言える。多くの食えてる人たちを「イオンなしには食えなく」してしまったのだから。今さら産業振興などちゃんちゃらおかしい。ついでに書いて置くが、震災で流通が途絶えたとき、街で大活躍していたのは辛うじて生き残っていた地元の商店である。当たり前で、肉も野菜もなにもかも、地元のつてで仕入れることができる。イオンのように仕入れが一元化されているところや吉野家、ガストといった全国チェーンの外食産業の営業開始は震災の相当後になってからのことだった。地元商店街が完全に消滅していたら盛岡でも餓死者が出たかもしれない。
で、今度はTPPが来る。自助努力がどーこーしたり顔で言ってた東京の「日本でのみデカいつらできる大企業(笑)」が盛岡の地元商店街と同じ運命を辿るかと思えば痛快ではあるが、やつら政府に取り入ってそうならないよう必死で優遇措置をとりつけようとしているようだ。けど、基本的に変わらない。東京が「世界の田舎町」のひとつになるという事実は変わらない。盛岡市も大規模ショッピングセンター誘致にあたり商店街にそれなりの保護措置をしたようだが、今大通商店街で元気なのはパチ屋と本屋くらいだ。政府が湯水のごとくカネをばら撒いてもどうにもならないことは目に見えている。
だから今こそ問う。「経済成長は本当に国益とイコールなのか?」グローバル経済どうこうヌカしてる連中は東京がシャッター街になったあかつきにもしっかり生き延びる手段を持っているのか?動物ですらできている「棲み分け」を拒絶して「経済成長は人の性」って、なんのヨタ話なわけ?
bloodthirsty butchers怒髪天eastern youthカウパーズらを輩出した札幌で、そのシーンを眺め、守り続けて来たSLANGのKO氏が怒髪天の増子兄と対談している雑誌記事を読んだことがある。とにかく情報が少ない街で、入って来る情報を貪って来た。そこには多くの勘違いがあったが、その勘違いが唯一無二の個性を生んだ。SAPPORO CITY HARDCOREはそうやってひとつのジャンルになったと言い切っていた。
日本車が世界で大流行したのだって、とにかく自分らの国で売れる車を、という発想で開発された「小型、低燃費」が世界の潮流にたまたまうまく乗ったからだった。「これが車の世界のグローバルスタンダード」とか気取った開発をしていたらトヨタだろうが日産だろうが生き残れやしなかっただろう。
日本固有の価値はそのように、その土地と切っても切れない関係性の中で生まれて来たことを、ネットでグローバルグローバル騒いでる連中って分かってんのかね?
最後に、竹中平蔵がヌカしたという言葉にブチ切れてうっかりつぶやいた一文を転載して置く。

私が若い人に1つだけ言いたいのは、『みなさんには成功した人になる自由がある』ということだ。『成功する努力をするならするで大いに結構。その結果成功できたなら、成功をエンジョイしたらいい。ただ1つだけそのときに普通に生きていたい人の足を引っ張るな』と