「餅は餅屋」ではなくさせたのは誰か

休日。盛岡に出て人に会うまでの時間潰しにネットカフェに行き、久々にIEでこの日記を開いたらやけに横に長い。HTMLやCSSのブラウザ差って、全然改善しとらんのね、と呆れた。そんなわけでIEの人は読みにくいでしょうけど、それはIEのせいなのでFirefoxGoogle Chrome推奨です。IE6で頑張っちゃうような低スペックPCユーザーはWindowsXPのサポート切れで消滅したはず。ある程度のスペックがあればIEより他2種の方が圧倒的に使いやすいですよ。てか自分でCSS書くサイトじゃないので対応できん。
書きたいことがいろいろあり過ぎるのだが、今日はすき家ストライキの話を。Twitterで #すき家ストライキ と検索すれば概要は分かる。ぶっちゃけ、どんどんやって欲しいし、他ブラック企業で働かされているバイトの人も呼応するチャンスだ。一応5/29(肉の日)を狙うというシャレが効いているが、組合などないような中小企業、非正規雇用で使われている人たちが加わればこの日は安倍が顔出すようなふざけたメーデーでない、本当の意味でのメーデーとして日本の歴史に刻まれるだろう。
私が学生だった頃というのはフリーター天国で、例えばガソリンスタンドなど、自らの声掛けによってオイルなどを売った場合その粗利の1割が給料に加算される、といったシステムがあったため、下手な社員より多くもらってるバイトというのが結構いた。私もガススタ勤務時代と今の介護福祉士駆け出し正社員の給料を比べると、保険他を考慮しなければ、資格手当を加えても前者の方が高給だった。車が好きな若者が集まり、金のために車のことをさまざまに勉強し、そうやってそのまま社員になったり、地元の自動車整備工場に就職したりして行く仲間をたくさん見て来た。
彼らがその場で培ったのは接客であり、社会人としての人間関係であり、何よりも車に対する「技術」である。ガススタに行けば車に詳しい人がいる。本屋に行けば本に詳しい人がいる。それが当たり前だった時代である。
その風向きが明らかに変わったのは2000年代中盤くらいだっただろうか。人件費が問題視され、バイトは使い捨ての道具、なる考え方が当たり前になる。バイトなどいなかった書店が「パート」を大量に雇うようになった。確かにレジ打ちと品出しだけなら普段マンガしか読まないようなパートでもできる。しかしパートが「担当」まで持つに至り、品揃えのこだわりは失われ、常連が姿を消した。パートらがアテにするのは店内に置かれたパソコン。客からの質問を受けると在庫システムを眺め、売上などといったどーでもいいような返答しか返せなくなったし、それでいいのだ、と経営側が判断した。パートの彼ら彼女らがあの職場でナニを培うことができただろう。勤めれば勤めるほどに本のことが嫌いになる、という愚痴を何度も聞いた。社員でも店売でなく他のセクションに回されることが多くなった。
要するにあの時期自分が見て来たのは「本屋に行けば本に詳しい人がいる」という常識が過度のマニュアル化と効率主義によって破壊されて行ったプロセスであったろう。
「経営」という観点で見たとき、人材育成というのはコストがかかるものだというのは分かる。しかしあの十年ほどで日本中から失われた「手に職をつける感覚」。その果てにあるのが企業のブラック化ではなかったかと思う。
バイトくん、と呼ばれるのがイヤだったガススタ時代、私は社員よりも車に詳しくなろうと必死で勉強した。車のことをよく知っていることがステイタスになるという意識があったからで、それはそのまま売上に直結した。
本屋をやめる頃のパートの連中はもはや「別に本に詳しくなくてもちゃんと仕事してるしぃ」みたいな声の方が多勢だった。そこに健全な「職業意識」はない。仕事への誇りも、愛社精神もない。何よりないのは「私は『本屋さんならいろいろ知っているだろう』と思われている」という自覚と誇りと責任感である。
それは「経営」側から見て好ましいことなのか?
そういうことが問われているのだと思っている。