「美味しんぼ『粛清』(笑)」の件。

未だ火が消えない美味しんぼ騒ぎ。こちらとしてはこの問題は、被害者に出来る限り透明性を持った医学サイドからの検査を受けさせなさいよ、という運動へと繋がらない限りまるっきり意義を感じないが(表現の自由クラスタの主張はとりあえず無視)、このふざけた騒ぎの一年以上前から住民の被ばく状況を明らかにせよと動いて来たおしどりマコさんが福島入りしてスピリッツの入荷状況を調査されていた。彼女ほど「被害者」サイドに寄り添いつつも公正さを心掛けてものを言っていた人を知らないので、その功績に敬意を表し、もう一回だけ「元本屋」のかたがきをふりかざすことにする。
彼女の今日のツイートをまとめると、

・コンビニ、駅売店をまわるが売り切れ
・福島駅周辺の書店(計7件)も売り切れ。
・入荷数15の店も開店5分で入った店でも売り切れ。
「予約分で売り切ってしまう」
・取り寄せ可能か、との質問には「小学館に断られる」
 「再印刷をかけないと小学館が言うので無理」
小学館へ問い合わせ、回答は
 「通常どおりで在庫がある限り取り寄せは可能、現段階で在庫はあり」
問題はここからで

小学館に在庫はあると確認した、それでも無理かと聞くと「取次ぎが無いと言う」トーハンかと聞くと「そう、トーハン小学館が在庫無いからと」

これらを見る限り犯人はトーハン。ナントカ協会やナントカ会議からの政治的圧力ではなく、トーハンという取次会社。
「取次」とは問屋みたいなもんで、出版社と書店の間に入って書籍の流通を助ける会社のこと。再販制度の担い手と言ってもよく、書店は発注した本が売れなくても返品できるのだがその返品先はだいたい取次会社。出版社が刷った本のかなりの割合を取次が受け取り、全国どこでその本が発注されても迅速に発注先の書店に送ることができる。要するに本の在庫には書店在庫と取次在庫、出版社在庫の三種類があって、書店在庫は店員に言えばとってきてくれるし、取次在庫にあれば全国どこでもまず三日あれば書店に届く。出版社在庫しかなければ下手すれば書店や取次を介さず購入者個人が出版社に直で注文した方が早い。トーハンと日販二社で全国の70%のシェア(といっていいかこの場合よくわからんが)を占める。
この取次が「小学館が在庫ないよと言っていた」のだと。
ありうるかなー、と思うのは、「書店は取次のいいなりか!」という野次が飛ぶほどに「再販制度」「取次によるシステム」の影響を受けざるを得ないのが書店という存在だから。かのさわや書店の元店長伊藤清彦氏も「今の書店じゃなにもできない」と言ってやめてったことは著書に明言してある。その大きなファクターがこれであることはまず間違いない。
なんかヘンだなー、と思うのは、「なんで取次じゃなくて版元に直接連絡しないの?」という一点。私がいた地方弱小企業にさえ、大手出版社の営業はちょくちょくいらしたし、出版社在庫しかない場合は版元に直でFAXを送るのがいつものことだった。書店自体がなにか恣意的に「売らないようにしている」可能性はある。その理由は知る由もないが。
このことについて考えてみる時にね、とりあえず考えて欲しいことがひとつある。「本屋だって(ギリギリ)店に置く本を選ぶ権利がある」ってこと。紀伊国屋の店員が「うちは会社としてスピリッツを店頭に置かない」と明言したことについては私はセーフと思わざるを得ない。検閲だなんだ言う前に「デカイ書店ほどエロ本がない」という事実を考えれば分かってもらえると思う。福島の書店が実は「会社の判断として」スピリッツを置かないという判断をするのも自由。ただ、そのことは「気に入らなければうちを使わなければよい」という明確な社としての意志表示なので(だからむしろ紀伊国屋は潔いと思う)、福島の書店がそこのところをぼやかすために「取次が」と言った可能性はある。普通に卑怯な行いだが「国の陰謀」とか騒ぎ立てることではない。
問題は「取次の陰謀」であった場合だ。たかが制度のためのシステムの担い手に、本を選べるような自由を与えてしまってよいものか。
もちろん一般企業である点書店と一緒なのは間違いない。しかし規模が違い過ぎる上にその「顔」が購入者の目に触れることが全くないのが彼らだ。そんなもん選びようがないという点、彼らは特権的であり、市民生活に直接かつ匿名的に影響を及ぼしうる。そこのところを自覚しているだろうか。
私は「美味しんぼ『粛清』」の件は脱原発原発事故賠償、もしくは表現の自由といった文脈より「企業倫理」で語った方がいいと考える。書店、取次だけではない。このような情報が出たのに、出版社が取次に事実確認もしていないのなら、それは出版社の企業倫理の問題でもあろう。
この件にノセられることで、結局あんたらみんな何がしたかったんだ?原発事故と言う現実の中の、どの立場に立ちたかったんだ?それを表明せいよ。