これを最後の書店ネタとしたい。

Amazonのレビューみたいなポップは書くな、と言われたんだよ。
本屋にとってポップも紹介文も「売るために」ある。どんな人なら買うかを考え、興味を持ってもらえるような紹介をし、ちょこっと私見なのが書店員のポップ。
Amazonになると自分の主義主張に合わない本はダメな本。合う本は素晴らしい本。後者には貶めのレビュー、前者には賞賛のレビュー。「参考になった」まで政治臭プンプン。けどそれってレビューなんか?あれが「言葉狩り」でなければ一体なんなんだ?
本が主義主張の道具になる、政争の舞台になる。そんなの本好きとして黙ってられるか?ああいうことだけはしちゃいけない。と、言われたんだよ。
これが本屋のプロ意識。実際Amazonのレビュー欄見てると全面的に同意したくなるから不思議。
要するに、平和に暮らす村がどこか関係ない国の戦場になったとすれば「おまえらでてけ!」となるだろう?というのがこの理屈だ。
弱点は自明で、本が扱うのは「どこか関係ない国」のことではないってこと。その本で明らかに被害を受ける人がいる。そうオレに思わせたのが嫌韓嫌中本だったのだな。
多分だが、「政治色」が嫌いなあらゆる表現者の嫌悪はAmazonのレビュー欄の醜悪さに帰納できる。しかし自分らの平和な村にどーしても無関係でいられないのが政治というもの。
そういう自覚があるかないかなんじゃないかと思う。
いずれにしても、一介の平和ボケ書店員であった身としてこれだけは言わせて欲しいってことがやっぱりあるんだよね。それが以下。
オレが「Amazon書店」の店長だったとしたら激怒するよ。「てめえら本を政治の道具にすんじゃねえ!オレの店で暴れんなクソが!」
その上でこう言うと思う。「今は世相が世相だししょうがないがな、政治のゴタゴタが片付いたらてめえら全員、手分けしてオレの店を片付けに来い。」
「その時棚にどんな本が並ぶかはてめえらで決めろ。それで売上落ちたら賠償金請求すっかんな」
何もせず、分かったようなことを言うことしかできない「書斎派」の人はせめて、「その時棚に並べるべき本」を探してくれないか。どうでもいいことに思うかも知れないが、それこそが平和のかたちになるんだ。
本を愛する者として。