原子力発電という「技術」の研究を止めてはいけない。

原子力にカネを使うな、と思ったことは一度もない。
石油枯渇が目に見えている世界で原子力は重要な時期エネルギー候補だ、とは今でも思っている。ただし、使用済み核燃料への対策と、天災、戦争など人災への対策を十二分に取った上でならの話。
ただそれだけのことなのに、技術畑や理系礼賛属性な連中の、原発反対の声に対する嫌悪、延髄反射的な罵詈雑言は恐ろしいほどだった。あの、311直後でさえ。
なので改めて問題の切り分け。誰も原子力発電という「技術」自体を否定しちゃいないんだということをまず大書して置く。
それでも実用域での原発再起動は論外だと思うのはまず、一時は世界中が信じたほどの「安全」神話をつくりだした技術のダメ出しが済んでいないことから自明と言える。一度火の入った原発廃炉まで下手すりゃ100年以上もの間「絶対の安心」が求められることが世界中に周知された。そういう目線での安全対策の練り直しが行われているだろうか。「たまたまああなったけどあんな地震津波のダブルパンチなんてそうそう起こるものではない」などと思っている輩が原発畑でデカいツラしている以上実用、再稼働なんて口が裂けても言えない。
次に使用済み核燃料の処理技術が机上でしか出来上がっていない以上話にならない。研究炉としてのもんじゅにうんざりするほどの金を注ぎ込んでも実用化されないというのは技術として「詰んで」いるのでは、との疑念も拭えない。今年ももんじゅに巨額のカネが落とされたが、この問題を解決するためだというのなら、それに全力を傾けると言うのなら分からなくもない。とにかくこれが未解決である以上原発再稼働なんて話にもならない。
最後に「放射能の人体への影響」がきちんとした形で研究されていないこと。セシウムだけでなくストロンチウム。また短期間とはいえ多くの人の身体を侵したヨウ素の影響について、世界中で共通のコンセンサスを得るくらいの研究結果が出ていなければ、何かあった時「にんげんにはなにもできない」という最悪の展開が待っている。見ることも避けることすらできない放射能を扱うのだからそのあたりはきちんとして行かなければならないだろう。加えて、ばらまかれてしまった放射能を効率的に処理する技術は絶対に求められる。
要するに「工学畑から生まれ育った技術が、まともな実をつけていないままに収穫されてしまった」のが原子力発電という技術だったのだ。と、思う。
なので、ここで水をやるのを止めてしまうのはナンセンスなのだ。
例えば福島出身の若者が三年前の春に工学系の原理力学科の大学に入学したりしているのではないか。起動から廃炉までのスパンで考えても安全と言い切れる技術を拓くために日夜頑張っているのではないか、とか思うと、それはもう応援せずにはいられない。
いま、世界で一番、求められている技術だ。研究開発を止める理由なんてない。
「現段階で」原発NOを叫ぶ私の認識を微塵も疑わないが、それはこういうことなのよ。技術萌え?の人たち。「愚民ども」とか騒ぐ前に手を動かして欲しいなあ。