必読、としたくなる何か。

これだけは読め、なんてものがあるとは思えないけど、Web上の言葉でこれほどグッと来るものにはそうそうお目にかかれるものではない。
http://taiwansokuhou.blog.jp/archives/4670333.html
http://newclassic.jp/archives/5422
後者はもはや定番(何の?)とさえ言える。人間という種と経済活動との関係に投げた巨大な一石。
前者は大国主導の貿易自由化によって何が起こるか、ということをこれ以上なく分かりやすく説明した文章。興味深いのはコメント欄に明らかにネトウヨ、ではなく安倍支持者とおぼしき人が「日本でこういうこと言えば極右とか言われるんだろうな」とか言ってること。いや、強引に自由化を推し進めてるのは安倍政権ですから、というツッコミはさておき、ああいった人にもこういう言葉は届くんだなー、というのが自分としては嬉しいところ。要するに現状認識の差なのよね。「愛国」という気持ちはどちらも持っている。
ネトウヨ、じゃなくて安倍支持者に「IWJを見ろ、分かるから」と言うのは、自分らにとっては「チャンネル桜を見ろ、分かるから」と言われている時のような絶望感なのだろうとは容易に察しがつく。だからこっちはIWJはちゃんとしてると言いたいわけだが、何をもって「ちゃんと」しているかを端的に説明するのは難しい。あるんだけどね。明らかに「ちゃんと」の根拠は。
おいらのフォロー範囲では歴史学という分野でそれに似た対立が起きているが、学者サイドでがんばっている人たちですら「歴史は科学とは言い切れない」という立場でものを言っているようで、これがなかなかにハラハラする。自分は確たる基準に立つことのできない物言いは、その人間力や魅力をもって伝えて行くしかないとかなり若い頃に諦めた。しかし今を戦う学者たちはそんなものに頼らずとも戦い続けている。成果を上げている。歴史学は科学です、と言い切れてしまえればどんなにか楽だったろうに、それが現時点嘘であることを知る彼らは、それでもおいらみたいにさっさと諦めることなく自らの生業が「届く」言葉を生むことを信じている。
「口では何とでも言える」という金言ほど文字メディアであるインターネットの価値を無にしているものはない。そんな中ですら明らかに「立場を超えて何かを伝え得た」瞬間に出会える。分析して、判断して、切り捨てて生きている者には絶対に成しえない、何物にも代えがたい瞬間だ。