「政治に無関心」な文化人などいない

結局おいらも百田尚樹からブロックを食らった。もはや「そういう人なのね」としか言いようがなくなった。政治サイドからの批判はともかく、作品へのツッコミ、特に汚い言葉を使ったわけでもない返答がブロックのきっかけになるのなら、これを以て小説家としての彼、人間としての彼を信用するには足らないと言い切れる。つーかあの、イエスマンだらけのリプライにまみれてあの人、気持ち悪くないんだろうかね。政治面で意見が同じ、フォローしている人のツイートですら全面肯定ばかり繰り返す人のリプライは気持ち悪く感じるおいらにはついていけない。
前に語った拓郎もそうだが、「平和な日本」時代の大衆芸術が「政治」に対して無頓着だったかと言えば、そんなことは全くない、という返答しか自分からは出て来ない。今週のAERAに「意識の高い若者の受け皿としてゴーマニズム宣言しかない時代があった」なる言説があったがとんでもない話である。今日はちと、そんな話をしておきたい。
企業人にとって朝という時間はとんでもないルーチンワークの時間だ。いかな人間に自由が保障されていようと、会社勤めの人間には「この時間にメシを食い、余裕があったら一服し、車を出して八時を回る頃には大通りの交差点に出て、半過ぎには会社の駐車場に車を入れている」という以外の選択肢を選べば、もはや彼は企業人ではない。道すがらの片側交互通行に出くわして「まーた税金の無駄遣いしてやがる」と毒づいたり、ラジオで流れるニュースに現内閣への怒りを掻き立てられることはあっても、それが即、自分の行動に反映できなければ「政治への意識が高い」と言えないというなら、政治への意識が高い人は政治家かヒョウロンカしかいなくなってしまうだろう。
どんな人にも生活があり、生業がある。立場だってある。それを前提に世の中に対する自分のスタンスを納得できるかたちで表明できる人間なら、私に言わせればその人は十分に「政治的」なのだ。
暗黒舞踏の修行に、自分の動作の癖から政治を抜き取る作業がある。ただ立つ、ただ歩くという動作にすら日本という場所の文化風土が染みついていることに自覚的であるからこそできる作業だ。逆説的に、この作業は十二分に「政治的」である。
自分(ら)が表現しようとするものを突き詰めれば、その表現と「世界」との関わりについて意識せざるを得ない。トム・ウェイツが「町中がベッドの男(要するに浮浪者)」を歌った時、そのおっさんの愛おしさと同時に、浮浪者として生きて行かざるを得ないおっさんの「事情」が心に溢れずにはおれない。人間は立って歩いているだけで十分に政治的なのだ。だからこそ、それだけでは済まない自分の世界を確立しようとするのだ。昨日の日記で書いたケラだって「泣ける話」みたいな物語から飛躍せんがために不条理に走ったはずで、舞台に政治のカケラもないから政治に興味がないわけではなかろう。むしろ、全く政治が出て来ないという不自然さにこそ彼の根っこがあったはずだ。
冒険小説として一世を風靡した船戸与一は、もとはインディアン居住地に住み込みでアメリカの差別をルポして来た人だし、バカばっかりしてた中島らもだってところどころに人が社会で生きる、ということについての含蓄を含ませている。レコード会社というよく分からない世界に対して、自分らのスタンスを妥協しないためのインディレーベルが乱立したのは'90年代のこと。つかこうへいは常に人と人との間にあるさまざまなものを乗り越える試みを続けて来た。北杜夫中上健次遠藤周作辻邦生井上ひさし新田次郎、飛んで夢枕獏浅田次郎に至るまで、「政治」に対する自らのスタンスをぼやかして活動して来た者がどこにあるというのか。
唐十郎、アングラ演劇の旗手と呼ばれながら学生運動だのなんだのとは常に距離を置いて来た彼の物言いが象徴的だ。「あれだけバカみたいにロマンチックだった学生運動が終わったあと、皆が経済に走ってしまうとは思ってもみなかった」「客がこういう時代なら、そういう人に伝わる芝居をつくらなきゃならない」戯作の世界に身を置く者ほど、時代の空気には常に敏感だったのである。そのアンテナは悪いが電通の比ではない。
逆に、ちーとインテリぶって社会派気取ってた連中が今なにしてる?生き残ってすらいない。大衆相手に斬った張ったして来た戯作屋たちは、少なくとも自分が今生きている世界を自分なりに掴み、その中での自分の立ち位置を自覚し、その上でバカやってきた人たちばかりである。日本という国で、とにもかくにも生きて行くために必要なバカだったからこそウケ、みなの励みになって来たのである。AERAが言う「政治への意識の高さ」なんざ、誰かに食わされ、誰かに助けられてきたことすら自覚できないボンボンどもがサロンで語る「政治」でしかなかろう。そいつらにとやかく言われる筋合いはない。
翻って、百田尚樹の言うところの「時によっては政治的な考えを述べるべき」とはどういう「政治」なんだろうね?