改めて、日本のインターネット

岩上安身氏は自身の率いるIWJのインタビュー文字起こしをよく連投ツイートしてくれるのだが、昨日から今日にかけての能川元一氏インタビューは圧巻だった。連投数233?南京、慰安婦問題について独自に一次資料を集め、研究している能川氏が、安倍他による極右政治家の発言に丁寧に反駁して行く内容。認知意味論という専門を持っていらっしゃる能川氏は、ネトウヨ他がなぜあのようにトンデモ的なはなしをあっさり信じてしまえるかということについていろいろ語っている。
こういうのを見るとやっぱり「プロにはかなわん」と思う。ネトウヨとトンデモを結んで考えている人なんておいらくらいだと思っているからこそ私は以前のトンデモ論を書いたのであり、こんなちゃちなブログであっても「こんなことを言うのはオレくらいだろう」という自負をそれなりに持って書いて来たつもりだったが、やはり専門に研究されている方にはかなわん。そういう人がいらっしゃるという事実は非常に心強いのだが。
しかし改めて思うのは「匿名こそ強み」である、との主張が非常に強かった日本のインターネットでも、結局のところ身元の割れた有名人がかっさらって行くなあ、ということ。そういう人たちに一泡吹かせることが2ch的ネット参加者の娯楽であり使命でもあろうが、それは逆説的に、ネット上での言説は有名人を中心に回っていることの裏返しでしかない。
多分、匿名性の強みに希望を持っていた人の多くは、その最初期において「誰の言説であっても良いものは認められるという機会を得た」と思ったはずで、実際そういう強みがうまく働いたことも多くあった。いわゆるオープンソースの世界のことなんかはうまく働いた好例で、ある日名も知らぬ人から届いたパッチが、みなで開発しているソフトウェアを劇的に良くするということが実際に起こって来た。
けどぶっちゃけ、今のTwitterにおける「議論」の無茶苦茶さは、十年前の2chを遥かに陵駕してしまっているようだ。議論?の吹っ掛け、相手がうかつな発言をするまで延々揚げ足取り、ボロを出せばロンパロンパと大騒ぎ。アカウントがはっきりしているぶん、この傾向は2chよりあからさま。
そうやっての「論破」に何の意味があるだろう。と普通は思うものだが、これが実際にTwitterという世界では「ある」ように見えるから困ったもの。「偉そうにしているけど奴は○○だ」と騒ぎ立て、相手がボロを出したツイートをRTしまくり、以後その人は相手にされない。これが、フォロワーたちにとっての「戦果」となる。
あんたらせっかく肉体や立場を逸脱した議論の場を得たのだから、せめて相手の「言葉」に焦点を合わせられないもんかね?自分の言葉が立場を超えて広がることに夢を見た人なら、まず相手の言葉を立場抜きで検討できなきゃいかんのでないかい?
不毛な「議論?」が多過ぎる。