久々に街に出て飲んだ

久々の「仕事の」休日、満喫しました。夜には次の日のことばかり考えているこのプレッシャーは久しぶり。自分がいかに怠けていたかがよく分かるというもの。
昨日の夜、とある土建屋の経営をしていたというおっさん(一般的に見ればじいさんと呼んだ方がいいか)と意気投合、しかし政治の話になり「やっぱり自民」と主張する彼と(酒の席とはいえ)大激論になった(笑)
自分の経歴、立ち位置から考えて「意気投合」なんてするような相手ではない。しかしそれでも笑って話せてしまうのはやっぱり、リアルという世界のいいところではある。
彼が最も強調したのは「ものごとを進めるときに、いちいち原則論気にしていてはやってられないんだよ」ということ。「そんなの経営をやったことある奴なら誰だって知ってんだ」
自分の経歴を明かさないとこの時点で会話は終わる。彼にとっては切り札だろう。しかしまあ相手がおいらなので当然会話は終わらない。
「人を動かす立場っていうのはね、いくらでも言い訳できてしまうでしょ。だから人を動かす人間はすぐいいわけをするようではだめなんだ。使われる奴らが不幸になる」
というおいらの言葉に頷いた彼は自分の経験してきたあれやこれやを開陳するわけだが、「金持ちは多く税金を払っている。優遇されるのは当たり前」という持論と「原則論でうだうだ言う奴はほっとけ」という主張はゆるぎない。
前者はともかく、後者って、たぶん、多くの日本人にとって共産党が代表するイメージへのアレルギーの根っこなんだろうな、と思った。
実は共産党は理屈ばっかりこねているわけではないらしい。難病他の社会的弱者が、役所的な救済にすがろうとしても突っぱねられやすく、突っぱねられた果てに共産党の地方支部に相談したら恐るべき親身さであれこれしてくれた、という話をおいらはTwitterで初めて知った。
しかしそんなこと知らないモンには「口だけ番長」「けむったい、一緒に仕事ができない奴ら」というイメージは拭えない。何と言っても、自分がそうだったから分かる。
そのおっさんのような人にとって、「決定できる政治」を標榜した安倍自民政権は、自らの経営者人生に照らして最も「まとも」だったのだろう。しかし今くらい原則論を考えなければならない時はないんでないの?議論だか口喧嘩だか分からない、けど明らかに両者「楽しんでいる」会話は続く。
安倍自民を本気で倒したいなら、彼のような人に「それは確かにそうだ」と、言ってもらえるだけのものを提示しないといかんのだよな。と考えながら、こっちは喋る。年長者は自分の経験に照らした物事の捉え方を持っている。経営者たる誇りで生きて来たあのおっさんに「そりゃ確かにそうだ」と言わせるためのナニを自分は持っているだろう。沿岸での被災者が大量に移住してきた盛岡の、街中の飲み屋で、「やっぱり自民」と声高に言うおっさんがいる。救済、福祉なんて捨てちまえと言い切る人がいる。結局話は有耶無耶に終わった。
そんな彼だが、「ぶっちゃけ安倍ってどう思います?」と聞いたとき、
「あのガキはだめだよ」
と苦虫を噛み潰したような顔をしたことだけは報告させてもらおう。安倍の幼児性は、「やっぱり自民」のおっさんにとっても不安材料なんだそうだ。
「あんなやつに仕事ができるわけがない」