暗澹たる気持ちで迎えた三周年

介護福祉士としての、施設での仕事が始まっている。初めて出席した職員会議での最初の話題がいきなり「消費税が上がるため料金体系を変える」ことだったことに因果を感じる。
そうでなくとも、こないだまでいた専門学校には沿岸部出身のクラスメイトが多かった。三年前高校三年生になろうとしていた年代。それぞれにさまざまな夢があったが、「家の事情で」とにかく現ナマ収入が欲しかったという話を少なくとも5人から聞いている。大学進学、金も時間もかかる資格の習得、なにより「こう生きたい」という夢を18の子供らの多くがあの時、捨てさせられたのだ。彼らの中には問題視されている「学生ローン」こと奨学金に手を染めてしまった子も少なくない。学生寮での快適な暮らしと、実家である仮設住宅の差を、毒を吐くような顔で語ってくれたこともあった。多くはその実家に帰って社会人一年生を迎える。
卒業寸前になって「おとうさんが会社をクビになった」という子がいた。奨学金の支払い、家のローンその他を抱えた家庭であることをあのトシで受け止めなければならない。しっかり者のその子は既に母親から父のグチをさんざん聞かされ、「あんたが今年卒業で本当に助かった」と、泣きたくなるようなことを言われたそうだ。そんな重みまで背負わされるハタチ。最後の飲み会が終わり、別れの段になって目に涙をためていたその子が、短い学生生活が終わる感傷だけで涙腺を緩ませていたわけではないことが、胸をかきむしるほどにツラい。
大学に遊びに行き、なにもせずノートのコピーで卒業し、つぶれる心配のない企業にコネで入社し、実家をないがしろにして東京での暮らしを親の金で満喫して来た奴らが自分の世代にはわんさかいるのだ。
曽田綾子の「あまえるな」発言になんとはなしに頷いてしまっているのもそいつら。福島の人に「あまえるな」と言った田母神に最も票を入れた世代でもある。
てめえらに「甘え」について語る資格なんてねーよ。