トンデモの正しい楽しみかた

いらっとするニュースが続くが、まず自分の手の届く範囲で、やれることをやり、書けることを書くしかないよな。うん。
さて、前回の記事を上げて一日。追っかけるのをサボり気味だったTwitterのタイムラインを眺めていたら、ちょうど歴史学とトンデモが戦争しておった(笑)
ユダヤ同祖説とかまだ言ってるやつおったんね。おいらが小学校の頃のネタだよそれわ、などと苦笑しつつも、そこは昔とった杵柄ってやつで、気がついたらトンデモ陣営を弁護したくて仕方なくなっている自分に気付き、苦笑いが止まらなくなった。
なので今日は珍しく書く内容の骨子が決まっていないのだが、漠然とトンデモの魔力について書いてみようかなー、と。
トンデモっていうのは古今東西「権力に握りつぶされた秘密」という体裁をとっているものばかりだ。義経北行伝説も上記(うえつふみ)も竹内文書もそうだろう。なのでそこにハマる心根ってわりかし、反体制の活動家と似ていたりするんだよね。自分の生きる世界に不満がある人が、己のルサンチマンを吐き出す空間。ただし、活動家が現在の自分の境遇を変えるために戦うのと違い、トンデモ論者は報われなかった過去の人と自分を同一化して気持ちを慰める。市民運動のたぐいは自分らの守りたいものを明確にし、政治の世界に主張を届けるはっきりした道筋をつけなければ勝ち目がない。だからこそ本気の活動家はトンデモを必死で排斥しようとする。同志だと思ってたらユダヤ陰謀論者だった、なんて話がTwitterの中にはたくさんあるようだが、九割九分九厘タタかれる。今本気で戦っている人を見ていると、以前の反体制気取りみたいなマケイヌ臭がないもんね。これは実に正しいことだと思う。
一方で、トンデモの生まれる背景として「恵まれない立場に置かれた者の願い」があることはやはり否定できない。義経さんに生きていて欲しかったから北行伝説が生まれたし、北の果てにまで威光を振りかざそうという中央政府への怒りが東北太平記を生んだと言える。日本人には判官びいきの心が強い。そういう意味で、日本人は決してトンデモと縁が切れることはないのかも知れない。
けどね、今の歴史学は文献史料至上主義からは一応脱却してんのさ。権力者が記した歴史だけでなく、地域に伝わる遺物とか、いいつたえとか信仰をしっかり捉えた上で、総合的にその時代というのを捉えようという試みが盛んに行われてるのさ。トンデモが伝えるような一部階層の怨念のようなものまで、しっかりと捉えて行こうという姿勢を、戦後の歴史学は持っているわけさ。まともな文献史料がないせいでちっとも解明されない北東北の中世史だって、変なトンデモに心を委ねるまでもなく、誇れる歴史がきちんと出て来るかも知れないんだ。いつまでも「歴史は強者のもの」と言わせてなるものか、と、戦中の情報統制に嫌気がさした歴史学者たちががんばっているんじゃないか。待とうよ。待ちきれないなら参加しようよ。ただしきちんとした方法論で。
まだTwitter原発事故もなかった頃、2ちゃんねる日本史板に「東日流外三郡誌」スレがあって、既に一般的にはケリがついていたにも関わらずがんばってたトンデモ論者相手にギャーギャーやってたことがある。内容の矛盾を指摘しても筆跡鑑定の結果を見せてもナニをしても納得せず、しまいには「歴史はロマンなんだからほっといてくれよ」とか言い出す彼らの態度は、今思うと「南京大虐殺はなかった」と騒ぎ立てるネトウヨに実に似ていた。「歴史はロマンなんだから」と泣きが入らない分、ネトウヨは余計に始末に負えないが。
彼らを相手してて思った「こりゃ無理だわ」感を、しかし「南京なかった」論者に見せるわけにはいかない。A級戦犯の一族とバカにされて育った安倍たち極右が心にしまっていたというイレギュラーなかたちのトンデモではあるが、根っこにある被害者ヅラは変わらない。
とりあえず言えることは「トンデモは自分の中だけで楽しみましょう」ということだけ。根に社会への怨念があるからこそ、表沙汰にすると非常に気持ち悪いことになる。
あー、ちっともまとまらねえや。