だからどうという話じゃないのだが

月曜日、「都知事選?ハア?なんすかそれ?」みたいな若いのに「バカヤロー!」と一発カマした後、宇都宮陣営の大健闘の話をしてしまっていた。テメエがナニしたわけでもないのに、なんだか得意げな気分になってしまう自分が非常にみっともないのだが、最終的に二位になったとこまで話すと、その若いのは「すげー!」と目を輝かせていた。
DOMMUNEを知ってるわけでもない。聴く音楽はいきものがかりきゃりーぱみゅぱみゅ。あとナントカってV系(笑)バンドだという彼がそこまで引き込まれたという事実は、やっぱり宇都宮陣営の戦い方の見事さ故であっただろう。だからこそあれだけ若い才能が集ったのだと思う。
ただ、ひとつ、想像するだけで寒気が走る仮定がある。私が宇都宮と同じくらい田母神に入れ込んでいたとして、彼らの大健闘を同じような熱でその若いのに話したとしても、彼はきっと「すげー!」と目を輝かせたのではないか?
彼らは主義や政党のしがらみに無知な分、自由であった。そのおかげで何の先入観もなくおいらの話を聞けたのだろう。けど、だからこその危うさがある。宇都宮陣営に限って言えば、あそこには本当にものを知っている人たちがいるし、何しろ自分らの生活のことで動いているのだから変な方向に進むことはありえないのだが、戦い方の見事さだけで彼らを評価してしまうと、どこへ進んでいくか分からない不安が拭えなくなる。
私が「図書館戦争」をコキおろす時によく使う喩えだが、あんたらアレ読んで感動して「表現の自由は守られなければならない!」とか言ってるけど、アレと同じような焚書坑儒礼賛ラノベがもしあったとして、それを読んだら絶対、「危険図書は焼かれなければならない!」になってたよ?絶対そうだよ?というのがある。そこにはどーしてもややこしい思想とか歴史とか価値観とかを学ばなければならないという現実が横たわる。
細川取り巻きに「政治はファッションじゃない!」と騒いで理屈ばかりこねてる奴がいて、DOMMUNE開催中のツイートがやたらやかましかったのだが、その「どーしても」の一点のみにおいて彼は正しい。オレは彼が大嫌いだけど。