市場開放は必勝法のあるオンラインゲーム

都知事選で細川候補が経済特区容認の意思を示しててから、Twitter脱原発陣営で「新自由主義」なるタームが焦点になっている。
市場開放、グローバル化、とってもイヤな響きなのだか、それが何故拒絶されるべきものか、案外説明されていない。
書店員だった頃の記憶と照らすと、その答えは「多様性が保持しにくくなるから」ということになる。今日はそのことについてグダグダ述べてみたい。
書店において、売れる本は絶対の力を持つ。例えばどこもONE PIECEの新刊を出来るだけたくさん入荷したい。入れば売れると分かっていて、売上アップを確実に保証してくれるからだ。で、どうするかと言うと、出版社や取次との調整を行うことになる。集英社なら、彼らが売りたい新刊を今月は20冊注文してください。お礼としてワンピの新刊は貴社に200冊以上送ります。ということが毎日あらゆるジャンルで行われている。書店員はこうやって自然と被ることになるノルマを必死でこなし、その見返りとしてやっと自分が本当に売りたい本の発注が許される。
これが00年代前半あたりから極端なことになった。店舗どころか会社の存続が常に問題になり、何とか発注出来てきた「いい本だけど売れるか分からない」レベルの本はとてもじゃないが店に置いていられなくなった。品揃えは常に画一的な「話題の本」。まず困るのはずっと付いてくれていた常連客が消えた。当然で、本を棚買いするような上客が、取次や出版社が企画するような一般向けばかりの品揃えで満足するはずがない。また、どの店も似たような品揃えになるから、わざわざ遠くから足を運んで頂いてたお客さんがこっちまで来る必要なくなったのだ。今知らない書店に入って棚を眺めれば、その店の取次が日販かトーハンか、くらいなら多分誰でも分かってしまうだろう。それくらい画一化が進んでしまった。
この流れは「効率」という観点で見て多分正しい。出版社は客のニーズを掴むために店舗差や地域差を考える必要がなくなるし、日本全国どの客も似たような嗜好の方が商売しやすい。それは確かにそう。
しかし風土差や地域差が社会からなくなるにつれ、各地域で地味に花開いていた嗜好のベクトル、ムーブメントが常に中央と同じものになって行く。これは必勝法が発見されたオンラインゲームのようなもので、皆がおなじことをするようになる。そうなる以外、そのゲームにインし続けることすら不可能、という自体に陥る。今の書店はまさにその状態だ。
以上、おいらが「グローバル化規制緩和」というタームに拒否反応を示す理由を述べた。必勝法のある人生って、とってもつまらんと思わん?