新年

毎年なんとはなしに観てしまうゆく年くる年が終わり、今年初のニュースでいきなり安倍総理の談話。今年こそ憲法をどーたら。めでたい気分がぶちこわしだ。よーするに彼の頭の中では憲法改正というのは心底めでたいことで、国民はみな同志なのだろう。そうでないなら空気が読めないだけってことになる。
後期高齢者という肩書きになった母、届いた年賀状に安倍嫌悪を絡めた挨拶が多かったと嬉しげだ。年賀状に書くことじゃねーだろ。総理も総理ならそいつらもそいつらだ。まあ年賀状は一対一の私信なので、互いの政治的主張が分かっている仲ならありなのかもしれんが。
挨拶の中に政治がある。暮らしの中に政治がある。こういうのを素晴らしいことと思いたがる人がいることは承知しているが、私は賛成しない。政治が身近になれば政治にわたくしごとを持ち込むことに躊躇いがなくなる。国民が政治について考えなければならない時というのは、その国が問題を抱えている時だけでいい。主権者たる国民は国家に参加する意識が必要とかどっかの大統領が言っていたが、問題が起きた時に握れる手綱があれば充分だ。平和とは、政府が何もしなくても皆が笑っていられる状態のことを指す。それ以外の時はすべて非常時で、国民は決してそれに「慣れて」はいけない。
実家からの帰りの新幹線。電光掲示板の産経ニュースが、輸入車販売数が伸びた。景気回復だと騒いでいた。数週間前に流れたニュースをしつこく流していたのは、産経なりに正月という空気を読んだのかもしれない。しかし外車なんて買った層は復興予算なりがれき処理予算のだぶつきなりで懐をあっためた連中か、国から金を落としてもらうことで数値上の景気回復に貢献した大企業の連中なのだからやはり、ちーともめでたくなんてないのである。
多くの知り合いが、仮設住宅で3度目の正月を迎えている。安倍さんの新年挨拶はまるで「さっさと出てけ」とでも言っているようだった、と、彼らには軒並み不評であった。
誰が好き好んであんなクソ寒い建物に住むかっつーの。