今さらながら歴史問題

原発がああいうことになって、今後「歴史認識」とかで周辺諸国との関係を計るような悠長な論調は出番がなくなるかも知れない。原発事故と汚染水垂れ流しと、それに至る政府の対応はホロコーストどころではない「国家の犯罪」として世界の歴史に残るだろう。エジプトでの暴挙を悠長に非難してる場合ではない。
なので、もう国際世論の中では用済みになるかもしれない「歴史認識」について、思う所を今のうちに語っておこうと思うのである。
大日本帝国という国が周辺諸国にちょっかい出すようになったことを擁護したい人たちはマア大体「大アジア主義」を持ち出すわけだ。欧米帝国主義に対抗するため、アジア解放と連帯のための戦争であったと。実際そう信じて動いた人たちはたくさんいた。だが現実に行われたことはどうだったか。韓国併合のためにかけずりまわって働いた内田良平は大アジア主義の熱烈な信奉者だったが、併合後の政府の対応が帝国主義以外の何者でもなかったことに絶望して一線を退いたのである。その後も帝国主義の隠れ蓑として「大アジア主義」が利用され続けるのを彼がどのような気持ちで見守って来たかは彼のその後の経歴で推し量れる。政府の暴走であって多くの日本人は本気でアジア解放を考えていた、という見方はあろう。けど今の日本を見てれば分かる。「中国バカ」「韓国クソ」と国そのものを馬鹿にして喜んでる人々に「いや韓国人にもいいヤツいるから」と言っても、無駄なのだ。きっとどの時代、どの国においてもこれは変わらないことだろう。要するに「大アジア主義だから日本悪くない」は国際社会で通用する主張ではない。
現代になって、「いや、帝国主義ダメだろといっても欧米どこでもやってたじゃん」という論調は多く見られる。少なくとも「大アジア主義だったから日本悪くない」よりは妥当な論で、アメリカはじめ欧米諸国に対してはそれを言ってしまって構わないと私も思う。ただし解放の名のもとに攻め込んだアジア各国に通用する主張ではない。彼ら帝国主義の一方的な被害者には、帝国主義そのものに抗議する権利があるからだ。
いずれにせよそうやって勢力を拡げて行く日本のムチャに対し帝国主義の先輩方は経済封鎖という対策を講じた。要するに石油が日本に行かないようにした。当時軍事力というのは既に石油資源の量と比例していた時代なので、軍事力でもってアジアに勢力を伸ばそうとする日本は追い詰められた。戦後の多くの太平洋戦争本で「日米開戦の背景」とされて来たのはこれである。文明開化後、増えて行く人口にともない石油の需要は跳ね上がっていた。だけでなく、それだけの数の国民を「食わせて行く」だけの経済力が、当時の日本からは失われていた(満州国「建国」にともない、多くの日本人が大陸へ移住したのは、別に彼らがフロンティア精神にあふれていたからではなく、本土では「食えなくなった」からである。そういう人が多かった)。
私は、当時の日本を「弁護」するとしたらこの一点だと思っている。当時の日本をキチガイ国家だと非難する外国人がいたら「じゃああんたらの国が同じような状態になったとして、あんたらの国ならもっとマシな対策をとれたんかい」くらいは言ってやりたい。
(ただし、このことは大日本帝国という国が他国でさんざんコロシをしてきたことへの弁護にはならない。日本だろうがアメリカだろうがイラクだろうが、国家が国家の名のもとに他の国の人を傷つけたのなら、たとえ死んだのがひとりだろうと400万人だろうと国家が正式に詫びるのが筋だと思う。)
でね、その頃の日本を思えば思うほど気になるのが、実は今の北朝鮮だったりする。
あんな風に国際社会から孤立させられてしまえば、そりゃ戦争くらい始めかねないっしょ。ミサイルの一発くらい打ち上げたくなるんじゃないか。てゆーか、それを一番分かってあげられるのって、隣国である日本なんじゃないか?
あんな風に八方塞りな状況に追い込まれてなければ、日本だってあんなバカなことはしなかったさ!と言いたいなら、現在同じような境遇にあるあの国へ、もっと対話を求め、支援をしてからにした方がいい。これまで報道されてきたあの国のケッタイな状況を思うと心情的に相当抵抗があるが、あの頃の日本だって欧米から見れば「サムライがハラキリやってニンジャが空飛ぶ恐ろしい国」だったのだ。