靖国のこと

終戦記念日の風物詩となっている靖国問題について。
今年もエラい人たちが「大事な人たちを守るために戦った人たちに崇敬を込めて」とか言って参拝しているのが報道されていた。その言葉だけ見れば特に問題視することはないように思われるが、それでもあれを「うさんくせえ〜」と思ってしまう。なぜかというと、戦争の加害者も被害者もいっしょくたに「御国のためにがんばった」のだ、と思い込みたい人が未だにいる、という事実を象徴するのが「靖国」だからだ。
近代資本主義国家の戦争は九割九分エラい人が自分の利権を守ったり拡大したりするために始めるものだ。彼らの言うところの「国体」とはエラい人の財布の中のことであり、国土に住まい、営む人たちのことではない。それを「おくにのため」とすり替え、全く関係のない(これまで利益を還元することなどなかった)人たちをヒトゴロシに赴かせる。それが当たり前だと思い込ませるために言論統制なんかをさんざんした上で。もちろんエラい人が前線に出ることなんてない。
そういう構造をごまかす仕組みの最たるものが靖国だったといっていい。ダマされた人たちにはいくらでも哀悼の意を表明しよう。しかし彼らと、彼らをダマした人たちが、ともに「おくにのために」がんばったのだ、という幻想はあまりにエラい人に都合良すぎるし、実際靖国大事を叫んでいるのは(コピペに騙されるような中二をのぞけば)エラい人の二世三世ばかりだ。
私の祖父はインパール作戦で死んだ。父母は空襲で家や親戚を失っている。終戦記念日がお盆と重なることもあり、この日はどうしても彼らの無念を考える。そして、考えれば考えるほど靖国大事を騒いでる連中がうざったい。
あんたらの守りたかったものは、戦争で死んだおいらの祖先の守りたかったものとは違うんだぜ?勘違いしてくれるな!くらいは言わせてくれい。