一億総「スベったネタを解説しまくるお笑い芸人」

どのガンダムだか忘れたが、なんかあったよなあ。激高して戦う二勢力に割って入って「それじゃだめなんだよ!」と言い出す主人公。
今まさに、そんな気分。
一日一生懸命働いて、ちっとはいいことがあって、心が洗われて、帰って来て、
…ネット見るとなにもかもぐしゃぐしゃ。
「政治に無関心」な人たちの気持ちには以前からシンパシーがあったが、コピペ問題、靖国コスプレ、及びアイヌ民族もういないに至り、もはや無関心であることこそ「正しい」ような気がして来る。
演説であれスピーチであれデモ形態であれ言論であれツイートであれ、それが人に向けてなされるものなら、それが相手に届いた時点で「どのようにでも解釈されうる」ことを発信者は自覚せんといかんでしょ。
例えばお笑い芸人。ステージに出て、どんなに素晴らしいネタを仕込んでいようと、滑舌が悪かったとか、間がほんの一瞬空いたとか、観客が最悪のタイミングでくしゃみをしたとか、そんな些細なことでスベってしまうのが彼らの世界。けど彼らは決してそれを「ウケてくれなかった客」のせいにはしない。これは音楽だろうとなんだろうと、あらゆる舞台芸術の原則であり、鉄則といっていい。
同じことは普通の人間関係にももちろんある。大事な人との大事な一日のはじまりに、うっかり言ってしまった一言で相手のテンションをガクリと下げてしまったり。「そんなつもりはなかった、分かってくれ」と言えば相手はそりゃ「分かる」んだが、一度下がった場のテンションってのは「分かれば」戻るようなものではない。
人間の日常ってのは、そんな一回性の成功と失敗で満ち満ちているというのに。
そんな日常をシビアに送っている人間に、「論理的に正しいから分からないお前らはバカ」だの「真意が伝わっていない」だのを、どのツラ下げて相手に偉そうに言えるのか。あの、ネット上で日本中の人を「説得」したがってるはずの人たちは。
「論理的に正しいから、これで分からない奴は論理が分からない馬鹿」
それで世渡りできる人っていうのは、一回性に溢れた人の世に生きていないってことだから、人の世について偉そうに講釈垂れんどいて。